可哀想な人には手を差し伸べましょう。
けれど、私だって困っている。だからまずは誰か私を助けてほしい。
多くの人がそんな風に感じてしまっている世の中ではないかと思う。
私はおそらく、同年代の平均と比較すると、多少収入が多いし、身体も健康なので、世間一般から見たら恵まれているとみなされる立場にいるのかもしれない。
けれど、ゲイの世界にいると、イケメンでもマッチョでもない自分は、とても価値が低い存在なのではないかと思えてしまうことがある。
恋愛弱者である自分こそ保護されるべき対象なのではないだろうかと、恋愛強者に会うたびに、そんな想いに包まれてしまう。
最近、長いことパートナーがいるゲイの方にお会いする機会がいくつか重なった。長い人だともう10年ほど付き合っているお相手がいて、私は彼らの話を聞きながら「いいなぁいいなぁ」とアホのように相槌を繰り返すことに徹していた。
20代から30代という瑞々しい時期に、愛するパートナーと共に10年という歳月を乗り越える。それはとても甘美で素晴らしいことのように思える。これこそが愛なのだよと、異論を挟むことを許さないほどの強烈な正義を感じさせる何かがそこにはある。
しかし、彼らの話を聞きながら羨望の眼差しを向けている私の頭の中が、とある黒い疑問に支配されているというのもまた、悲しい真実なのであった。
この人はなぜ、出会い系アプリを使って私と1対1で会っているのだろう?
脳科学的に、恋のトキメキは短い人だと3ヶ月、長い人でも4年ほどでなくなってしまうらしい。恋にも寿命があるのである。そうして終焉を迎えた恋は、どこへと向かうべきなのだろうか。
彼らの多くが、2~3年でセックスレスとなるのだそうだ。
そして、どちらからともなく、別の男とセックスをするようになる。
男は馬鹿だと吐き捨てるのは簡単だけど、遺伝子レベルでなるべく多くの種を蒔きたいという本能がプログラミングされてしまっているわけなので、もはや気持ちだけでどうにかなる問題ではないのかもしれない。
女性を好きになるという本能が失われてしまった時点で、その部分も一緒に消してくれよという気もするが、神様を恨んだところで問題は何ら解決しない。
私が出会ったその人は、付き合って2年目でお互いに浮気をしていると察していながら、話し合いの結果、これまでの関係を継続しようという合意に至ったらしい。その時点で同棲をしていたらしいが、別々に住んだ方が何かと都合がいいということで同棲は解散し、別居生活へと突入。それから8年、ずっとその関係を続けて来たのだそうだ。
それは、好きだから付き合っているんじゃなくて、別れる理由を見つけられずにいるだけでは...?
頭の中にそんな言葉が浮かんでくるが、他人が簡単に口を挟んではいけない問題のような気もする。
私たちは別に、正しい選択をするためだけに生きているわけじゃない。
まぁ、じゃあ何のために生きているんですかと尋ねられたところで、困って何も言えなくなってしまうような、そんな曖昧で危うい気持ちの連続でしかないのだけれど。
ちなみに彼らを見分ける際に用いる一つの特徴として「出会い系アプリを使っているのに恋人の有無を極めて曖昧に表現している、かつ、写りの良い写真を積極的に採用している。」という点が挙げられる。
先日も、見事にそれに該当する人物から連絡が届いた。
相手の年齢は37歳で、私が出会い目的で接近するギリギリ上限の年代だった。だが、写真にうつる顔面は整っており、身体もガッシリとしているいわゆるナイスミドルである。
しかし、相手の自宅は少々遠目の郊外にあり、かつ、休日となる曜日が私とは異なっており、おまけに仕事も終わるのが遅いときたもので、この人と会うことはないだろうなぁ、と内心思っていた。
ところが、である。
ある平日の夜、彼から一通のメールが届いた。
「明日、都内で友達と飲むんですけど、よかったら来ませんか?」
今までに受けたことのない誘い方である。ちょっと斬新。
初対面の人の友達との飲み会、完全にアウェイ。
断ろうかとも思ったが、このナイスミドル、誘い方がメチャクチャ丁寧なのである。
「雰囲気合わなかったら適当に理由つけて帰ってもらって大丈夫なんで!」
「気が進まなかったら無理強いしませんから!」
こんな風に気を遣われて当然悪い気はしない。
なんとなく面白そうということもあり、翌日の彼らの飲み会に、ご一緒させてもらうことに決めた。
ナイスミドルとその友人は共に平日が休みとのことで、17時過ぎから先に飲み始めているらしい。
私は19時過ぎくらいから合流させてもらうことになり、すでに出来上がっているのではないかと少々不安な気持ちを抱いたまま、彼らとの待ち合わせ場所へと向かった。
目の前に現れたのは、ナイスミドルというか、普通のおっさんだった。しかもすでに酔っ払っている。休みと言っていたのに何故かスーツを着ている。
写真の通りの、昔モテたんだろうなぁという目鼻立ちのはっきりとした顔立ちに、写真には写りきらない細かい皺が刻まれていた。見ない方が幸せな真実ほど、そこから目を背けることは難しい。
おっさんが口を開く。
「いや〜わざわざ遠くからありがとうございますっ!こんなおじさんですけどっ、大丈夫ですかっ?」
自分の胸に手を添えて、大きい体を屈めながら、まるで取引先にでもお伺いをたてるかのようにハキハキとそれでいて丁寧に口にするおっさん。
ダメです。なんて言えるわけがない。そんなに残酷になんてなれない。
というか、私は何故だかこの目の前の人の良さそうなおっさんに生物としての謎の好奇心を刺激されていた。
この人、なんというか、ゲイには珍しいタイプなのである。飾りっ気がない。職場によくいる気のいい優しそうなおっちゃんである。すごく仕事が出来るというわけではないが、愛嬌の良さと物腰の柔らかさを武器に人脈で仕事をするタイプ。
こういう人を見ると、ズルイよなぁと思うけれど、世界がみんなこんな人だったら平和だろうなぁとも思う。そんな人物。
おっちゃんと、その友人と、私、3人で居酒屋の席に座る。
おっちゃんは大変気遣いの人で、さして興味もないであろうに、私に対して連休中何をしていたのかとか、どんな仕事をしているのかとか、当たり障りのない質問をしては、その都度大袈裟なリアクションを取ってくれた。
私が旅行先や仕事のことなどについて話すたびに、「へー!すごいねっ!すごいねっ!」と、いちいち持ち上げてくれるおっちゃん。イメージ通り、条件反射的に相手を褒めるタイプである。おそらく明日にはすべて忘れているだろう。悪い気はしないが、過度に気を遣わせすぎて申し訳ないなという感情も生まれる。私は接待するのもされるのも苦手なのである。
持ち上げられすぎてばつが悪くなり、返答の歯切れが悪くなり始めてしまった頃、ついにおっちゃんが自分のことを話しはじめた。
「隠してても仕方ないから言いますけど、私実は結婚してるんですよね。」
隠してても仕方がない、という言葉の裏には、やっと言えたという罪悪感から来る安堵感が見え隠れする。
おっちゃん。だからスーツだったんだね。家族には仕事だと嘘をついて、ホモと飲みに来たんだね。
一瞬にしておっちゃんの背景にあるものを勝手に想像して、勝手に切なくなる。
ずっと勇気を出せなかった私は、20代の終わりに、はじめて自分と同じようなゲイの人に出会った。
それまではずっと、自分は将来、女性と結婚するものだと思っていた。
自分を騙せさえすれば、多分できた。けれど、それをしなかったのは、人生を通して嘘を貫き通せる自信を持てなかったからだ。
どこかの政治家が、「LGBTを認めると国が滅ぶ」と発言したらしいが、それは、こういう人を増やしたいという意味なのだろうか。美しい国というのは、都合の悪いことから目をそらすことで作っていかなければならないようなものなのだろうか。
だから私は、目をそらさずにこの目の前のおっちゃんの人生に向き合ってみようと思った。あの日あの時、ゲイの人に出会うかどうかを悩み抜いて決意したあの瞬間、選ばなかったもう一つの道の先にあったはずの私の未来が、このおっちゃんの人生だ。
自分とおっちゃんを比べるために、一つ一つの事実を確認していこう。
「いつからゲイの人に会うようになったんですか?」
気持ちに蓋をして、家庭を持ってから、やっぱり自分を抑えられなくなる、そんなおっちゃんの人生を、存在していたかもしれない自分の未来を、想像しながらそう尋ねる。
おっちゃんは、静かに、だけれどもしっかりと口を開く。
「17くらいの時からかな。高校生だった。」
はい?
いきなり計算が狂う。
高校生...?え?待って。奥さんと出会ったのはいつなんですか?
「高校生の頃だよ。同級生。」
は?
それも高校生?え?なに?高校生の時からゲイで、ゲイの人に出会っていて、奥さんともその頃から付き合っていて...。え?なに?フットワーク軽すぎじゃない?忍者?これがドラマだったら、あなた双子説とか飛び出してますよ?
「ゲイだって分かってて...なんで結婚したんですか...?」
優しくない質問をしてしまった。思わず口が動いていた。
残酷かもしれないけれど、そう聞かずにはいられなかった。
平沢勝栄氏よ、かつて貴様が口にしていた、国を潰さない努力というのは、こういう人を増やしたいということなのか?
回答は、思わぬところから飛び出してきた。
「この人本当は、男の子が欲しかったの。なのに女の子が産まれちゃったんだよね。」
おっさんの隣に座っていたその友人がそう言って笑う。おっさんもつられて笑う。
私も笑ったほうがいいのか、わからなくなって固まる。ジョークだとしたら質が悪い。本当だとしたら居た堪れない。
何か、何か言わなくちゃ...。
「男の子が、好きなんですか...?」
意味深すぎる質問をしてしまった。我ながら何を言っているんだろう。
再びなぜか友達の方から回答が寄せられる。
「確かに若い子好きだよね。今日これから来る子も若いんでしょ?」
え?そっちの意味で回答しちゃう?私が聞きたいのそっちじゃないじゃないんだけど。文脈読んでよ。
ていうか何?まだ誰かくんの?
「うん。学校終わってから来るって言ってたから、もうすぐ来ると思う。」
学校...?終わってから...?
そういえばさっき...若い子が好きって......
「あ、きた。」
おっちゃんがそう口にして入り口に向かって手をあげる。
振り返るとそこには、若くて可愛い男の子がスーツを着て立っていた。
一瞬でそれがリクルートスーツであることがわかるほどに、初々しい姿だった。
21歳の大学生で、就活帰りらしい。
こいつらどういう関係なんだ...?
頭の中をその疑問が渦巻くが、根掘り葉掘り聞くのも憚(はばか)られる。
「お二人も、出会い系アプリで知り合ったんですか?会うの何回目なんですか?」
聞けることから探りをいれる。
「そうだよ。5回目くらいかな。この子はすごいんだよ〜。Twitterとかですごい人気あるんだよね。なんだっけあれ?ツイドルっていうの?」
5回もあってんのかよ。
ゲイの世界において、出会い系アプリで知り合った相手については通常、興味がなければ2回以上会うことはない。5回も会っているというのはおそらくお互いにかなり好感度が高い。下手すりゃ付き合う。しかしコイツには嫁がいる。
しかもツイドルだと...?ツイドルであるならば出会いの機会なんていくらでもあるだろうに。年上、しかも既婚者が好きなのだろうか。
ちなみにツイドルというのは、Twitterとアイドルからなる造語で、Twitterで人気がある子のことである。特にゲイ界隈ではよく聞く言葉であり、若いイケメンがそう呼ばれている。私が3日以上かけて苦労して書いたブログがやっと200いいねくらいを獲得してささやかに喜んでいる横で、ツイドルは旅行のついでに適当にシャッターを切った写真で1000いいねを軽く越えていく。この世の格差を思い知らせてくれる存在でもある。
ツイドルは「いやいやぜんぜんそんなことないですよ〜」と謙虚なことを口にするが、その振る舞いは妙に落ち着いている。言われなれているのであろう。
しっかりと私にも愛嬌を振りまいてくれるため、ある程度好感も持てる。
しかし、このツイドルの目は明らかに一人の男を集中的に捉えている。
おっちゃんの友人である。
この友人、 モテそうな見た目をしているのである。
しかし、自分に自信がないらしく、発言がいちいち卑屈なことが気にかかる。
「俺なんて俺なんて...どうせどうせ...いつもTwitterに歌詞ツイート*1してる...」などとメンヘラのようなことばかり口にしている。
ツイドルはこの友人に対し、「そんなことないですよ!すごくかっこいいですよ!!」ともはや発言には一切関係ない部分でちょいちょい彼の見た目を褒め続け、「ていうかTwitter繋がってませんでしたっけ?見たことある気がする!あれ...いないなぁ...アカウント名なんですか?...繋がってなかったみたいだから繋がり申請出しときました!」と、鮮やかなほど見事に連絡先の交換を達成していた。ちなみに彼らに挟まれて座っている私が連絡先を聞かれることはなかった。
このツイドル、おっちゃんといい感じなのではないのだろうか。その友人に好意をアピールしたりして、気まずくなったりしないのだろうか...と一番関係ない私がなぜかヒヤヒヤしてしまう。そもそもこのおっちゃんは何故我々を一堂に介させたのだろうか。一ミリも特することなどないであろうに。謎である。
そうこう言いながら、ツイドルはどんどん酒を飲む。
そしてどんどんと饒舌になり、「ていうか俺も歌詞ツイートよくする!!!」などとまで言い出した。するのかよ。
え?なんで?なんでそんなことすんの?そんなこと、百害あって一利なしでしょ?歌詞の意味を伝えるのは本人に任せなよ。あんたの仕事じゃないよ。
私がそう言って冷静になるように促すが、ツイドルの勢いは止まらない。
「ていうかこないだ一番仲の良いと思っていた親友に裏切られたんです!!!」
それで悲しくなって思わず歌詞をツイートしてしまったんだろうか...いったいどんな歌詞を...。
不覚にも気になってしまい、詳細を尋ねる。それが大人の務めとも言えよう。
いったいどんな辛いことが、あったのだい?
「ずっと好きな人がいたんです。それをずっと親友に相談してたんです。そしたらある日その親友が、SNSに動画をあげていて、そしたらその親友が俺の好きな人にフェラ●オさせてる動画だったんです。それ以来誰も信じられなくて...。」
展開が急すぎる。私たち庶民の生活のスピードが日本企業だとしたら、ツイドルの世界の進む早さは外資系のそれなのだろうか。
すごい。まず親友がすごい。ていうかそれは本当に親友といえる存在だったのだろうか。男を取るだけならまだしも、なぜそれをSNSに、しかもそれを本人に見える場所に...。理解ができない...。
おっちゃんもその友人も、どこか呆気に取られながらも、かわいそうにかわいそうに...とツイドルを励ましている。
そんな様子を見ながら私は、確かに嫌な話だなぁ...と思いながら、自分の過去を思い出していた。
かつて、私にも好きな人がいて、それを友人に相談していたことがあった。友人たちは私のために、彼との飲み会を開いてくれて、何人かの友人は関係ないけど応援に行くよと、わざわざ都合をつけて飲み会に参加してくれた。
恋をすると途端に生娘のようになってしまう私は、その飲み会でろくに言葉も発することもできないままに、ひとり悲しく帰路へとついた。
その数日後、まったく関係ない別の後輩から、私が好きだと言っていた相手が、私を応援すると言っていた友人と肉体関係を結んでいたという事実を聞かされた。きっかけは、私のために開かれたその飲み会だったらしい。
私にチクったその後輩と、私が好きだった相手は面識がないはずなのにどうして...と思っていると、彼らを引き合わせたのもその友人だということが判明した。私に内緒で、パーティを開いて遊んでいたらしい。
半狂乱となった私に別の友人が告げたのは、恋は奪い合いなのだから仕方がない、お前が言っているのは、僻みでしかない、という言葉だった。
たしかに、そうなのかもしれない。言われなくても分かっていた。弱肉強食。自由競争の理論に従うとそうなる。
恋愛は奪い合い。公平な競争が認められた世界では、敗者は負けを認めるしかない。
けれど、私が最も理解できなかったのは、なぜそんな伝わり方になるように仕向けたのか...ということだった。
優位な状況は、人の想像力を奪う。
恋愛は奪い合いだ!競争だ!と声高らかに叫んでいる人が、選挙期間中になると、強者にだけ寄り添うような政党はダメだ!と口にしたりする。その逆もある。
本当の平等なんて、たぶんどこにもないのだろうなと思う。
励ましてもらっているツイドルの姿を眺めながら、いいなぁコイツはこんなに慰めてもらえて...と不謹慎にも少し羨ましく思ってしまう。
おっちゃんとその友人は、励ましながらもそろそろ話を変えたいらしく、話題を徐々にくだらないものへと移行しはじめていた。
彼ら曰く、おっちゃんは昔ものすごくモテたのだそうだ。しかし、加齢と共に徐々にモテからは遠ざかっているとのこと。それもあって結婚したことに後悔はなさそうだ。
栄枯盛衰への対応策としては、なかなか悪くないような気もしてしまう。私たちはきっと、みんなまとめて弱者だ。
このツイドルも、今はモテるだろうけどやがては衰退していくのだなぁと思うと救いがない。
どうしても思考がネガティブになってしまうのをどうにかしたくて、おっちゃん達のくだらない話題に参加することにした。
彼らはもはや中学生レベルの下ネタへと突入しており、おっちゃんの友人がおっちゃんに対し、「こいつまじチ●コでかいって有名なんだよwwww」と言いながら爆笑しているという素晴らしくくだらない話題で盛り上がりを見せていた。
おっちゃんは「そんなことないよぉw」と相変わらず人がよさそうにヘラヘラしていた。
その瞬間である。ツイドルが目覚めたのは。
「いやいやいやいやいや!!この人マジでチ●コでかいですよ!!!」
まるで、逆転裁判で証拠を突きつける弁護士かのようにそう叫ぶツイドル。
コイツら...やっぱりヤッてたのか...ていうかなんで急にバラしたんだろう...どいつもこいつも損得勘定がバグってるとしか思えない...。
その場にいる全員の気持ちがそう一致しているのがわかったが、ツイドルの勢いは止まらなかった。
「この人のカリはマジでデカイ!あなた方が今想像している3倍はデカイ!!なぜなら私はそれを見たとき叫んだから!デケェェェェェ!!つって!!」
すごい演説である。スティーブ・ジョブズかと思った。こんなにも大きさを強調してくるなんて。しかも「なぜなら」という接続詞がぜんぜん意味をなしてない。
「すなわち奥さんはガバガバ!!!」
今度は実にロジカルである。「すなわち」の使い方に関しては文句のつけどころがない。奥さんもまさかこんなところでホモの若造から辱めを受けているなんて夢にも思うまい。
その後、終電の時間が近づくと、おっちゃんは家族の元へ帰ると口にした。すると、なんとこのツイドル、おっちゃんに対して必死に一緒に泊まろうと交渉を開始しだしたではないか。
しかし、おっちゃんは迫り来るツイドルをひらりとかわし、家族の元へと颯爽と帰っていった。未練が一切ないその足取りに、おっちゃんの信念が現れているかのようだった。
「うそ!?今日一緒に泊まれると思ってたのに!!!!」と呆然とその場に一人取り残されたツイドルを見ながら、私が栄枯盛衰だと感じていたものってなんだったのだろう...と少し前の自分の思考を恥ずかしく感じていた。
きっと、誰が弱者で誰が強者かなんて、他人が勝手に決めつけてはいけないのである。
*1:ツイートとして歌詞を投稿すること。心の弱っている人間がやりがち。本人は曲を聴きながら素晴らしい歌詞だと思って書き込んでいるのだろうが、読み手としては急になんだこいつとしか思えない。