犬笛日記

それは犬笛のような魂の叫び

東大卒の男に噛まれて殴られた話

大人になってから理解したことの一つに、「たくさんの人に支持されているものが、必ずしも正しかったり尊敬できるようなものだとは限らない」ということがある。

支持率という危うい言葉を耳にするたびに、そんなことを考える。そもそも私たちは、何を根拠に何かを支持したり、また支持しなかったりしているのだろうか。

 

ときどき、イケメンのtwitterなどを覗きにいくと、「仕事が終わった!」等といったクソどうでもいいツイートに大量のイイねがついていて驚愕することがある。これも、ある種の支持率が可視化されたものだと言えるだろう。

 

正しいことを支持したい。そう思うのは誰もが一緒だろう。けれど現実はとても複雑で分かりにくくて、絶対的な正義なんてものはどこにもなくて、だから結局、わかりやすく美しいものだったり、なんとなくイメージが良かったり、選んだときに他人から馬鹿にされなそうなものだったりを支持してみる。そういう個人の選択が集まって社会が作られていく。

 

この社会でたくさんの人から好かれるためには、そういう個人の曖昧な判断を味方につける必要がある。人は正論では動かない。大衆を味方につけるためには、時に自分の信念を曲げることだって必要なのだろう。その人物の本音なんてものは、他の誰にもわからないことなのだ。

 

自分に嘘はつきたくない。けれどみんなからは好かれたい。先日の合コンでも、そんな思考についての思いを巡らせる機会があった。

 

 

アクリル版の向こうに座るイケメンに、「どんな人が好きなんですか?」と質問をすると、彼は「ちゃんと働いている人」と答えた。過去に経済的DVの被害でも受けた女かのような回答である。「無職と付き合ったことでもあるの?」と尋ねると、ゲイの世界にデビューしたのは最近で、男と付き合ったことはないのだとの返答。「じゃあ、好きな見た目のタイプとかは?」と重ねて質問すると、「自分、見た目のタイプは広いんですよね。」と大衆に希望を持たせるような回答が返ってきた。

なかなか個性が見えてこない。仕方がないので「付き合う相手に求める条件とかはないの?」とさらにしつこく質問をしてみる。さっきから聞いてばかりである。私の特技は人の話をとにかく聞くこと。岸田総理状態である。すると奴は「まぁ、ちゃんと会話ができれば。」というまたしても誰にでも当てはまる条件を答えてきやがった。

 

誰も敵に回さない回答の連発。政治家の才能があるのかもしれない。岸田総理状態の私としては大臣への起用でも検討したいところではあるが、本音が見えすぎないというのも気味が悪い。単純に全員からモテようとしているだけなのだろうか。最大の支持率を狙う野心家。

どうしたものかと悩んでいると、メンバーとして参加していた東大卒の男が、「あなたさっきから何も答えてないのと一緒なんじゃないですか!?」というツッコミを厳しく言い放った。蓮舫かと思った。

 

この蓮舫こと元東大生はその頭の回転の早さと機転の良さでそれまで非常に好評な人物であった。ミーハーな私は東大という響きだけで支持をしたくなってしまうところもある。弱点は、愛想笑いが嘘くさすぎるところ。面白くないのに無理して笑っているということが、一瞬で分かってしまう。ずっと他人に気を遣って生きてきたのだろう。周りが見えすぎるというのもまた、不幸なことなのかもしれない。

そんな人当たりの良い彼が蓮舫になってしまうほど、目の前のイケメンの回答は曖昧なものばかりだった。決してコミュニケーション能力が低いわけではない。むしろ高い。相手に身体の正面を向けてハキハキと話すその様からは自信すら感じる。しかし恋愛の話などといった、自分の話題になると途端に歯切れが悪くなる。話題の中心に自分を置かれるのが苦手なタイプなのかもしれない。

 

ゲイの人間は日々、ストレートの世界に身を隠して潜んでいるため、自分の話をすることを苦手としているケースも多い。彼女いるの?結婚は考えないの?好きな女性のタイプは?すべてに嘘をつくことに疲れ、絶望の淵を彷徨ったゲイが出逢える一筋の希望が、自分と同じようなゲイの仲間なのである。はじめて嘘をつかずに話ができる。言葉にすると簡単だが、これでどれだけ心が救われるか、その孤独を知らない者に説明することはなかなか難しい。

 

我々はその喜びのあまり、ついつい羽目を外してはしゃぎすぎてしまうものなのだが、この目の前のイケメンは違うらしい。仕方がないので、他に全体が盛り上がれそうな話題を探しながら、合コンを楽しむことにする。

 

 

しばらくくだらない話に興じていると、さっきの蓮舫が私の隣に座ってこちらに笑いかけてきた。いつもの嘘くさい愛想笑いではない、何かもっとこう、獲物を見つけた女豹のような、ニヒルな笑みだ。

奥に目をやると、さっきまで蓮舫と話していた連中がチラチラとこっちを見ている。よく見ると、連中の目は死んでいる。蓮舫の目の輝きとは対照的である。

なんだ。なんだこの違和感は。

私が違和感に気づくより先に、蓮舫が私の首に手を回してきてこう言い放った。

 

「犬笛さ〜ん。飲んでますか?」

 

酔っ払いである。私がこの世で最も嫌いな生き物の一つ。こいつ、こんな一面があったのか?合コンという慣れない局面での緊張から手持ち無沙汰となって飲みすぎたのかもしれない。

 

「犬笛さ〜ん。犬笛さんっていつも場を盛り上げるじゃないですか?」

 

私は酔っ払いや子供など、話の通じない相手が苦手なのだ。しかし今は、褒められている...のか?

 

「色んな人に話を振って〜。けど最終的には自分で全部持っていきますよね」

 

私の特技は人の話をとにかく聞くこと、のはずだった。はずだったのだが、岸田総理の顔が、明石家さんまの姿へと変貌していく。彼もまた、多数の支持とあわせて、少なくないアンチに囲まれている。

 

「俺は〜!そういうのが〜!あんまり好きではない!」

 

 

歳を重ねるたびに、自分もいつかパワハラをしてしまうのではないかと心配になることがある。従順すぎる後輩を持つと、気が大きくなってつい攻撃的な態度で楽に仕事を進めたくなってしまうといった経験だって確かに存在する。知らず知らずのうちに誰かを傷つけることだってあるだろう。深く考えずに取り続けた行動が、気づかぬうちに誰かを不快にさせてしまうことだってある。

 

目の前の酔っ払い蓮舫の言葉を前に、そんなことを考える。
話題の成長よりも、トークの分配を。人の政策を後知恵で批判することは簡単だろう。けれど、先に成長がなければ、分配する資源が早々に尽きてしまうこともまた事実ではないか。能力も考え方も、様々な個性を持った人間が一堂に介しているのだ。全員を100%満足させることなど不可能だ。重要なのは、多面的な視点で、全体最適となる解を探し続ける努力を継続させることだろう。

 

岸田総理としての私は、そんなことを考えながら目の前の蓮舫状態の東大卒の男に向き合う。しかし相手は酔っ払いだ。何を言ったところで話にならないだろう。

するとこの蓮舫は、酔っ払い特有のゆったりとした動きで私の両肩を掴んだ。めんどくさいことになる予感を感じさせるムーヴである。

 

そして、私の頬を軽くはたいた。
肉体的党首討論の開幕である。

 

一度ペチンと音をたてると、その後も蓮舫は小気味の良い音を奏でていたいのか、軽いビンタを繰り返す。ダメージは少ないけれど面倒くさい。そう、面倒くさいのだ。ここで私が激昂でもしようものなら、この場の雰囲気は一瞬にして崩れ去るであろう。酔っ払いはいつだって他人の善意に支えられている。その無邪気さがたまらなく憎たらしい。

仕方がないので、ニッコリ笑顔を作りながら蓮舫の腕を掴んだ。まずは動きを封じる。

 

すると奴は、なんと私の腕に噛みついてきやがった。信じられない。親父にも噛まれたことないのに。このご時世じゃなくてもアウトだろ。金メダルを噛んで炎上した名古屋市長の存在が霞むほどの強烈なインパクトである。お前がリコールされろと思う。

 

あわてて体を引き離す。流石にちょっと怖い。こいつの今までの腰の低さは一体なんだったんだ。二面性の奥に潜む闇がたまらなく不気味である。

最初にこいつと話していた連中の死んだ目の意味に気づく。さっきから奴らはこちらをチラチラと一瞥しては目を逸らす。アクリル板の向こうのイケメンに至ってはこちらを見ようともしない。原子力廃棄物の処理担当になったような気分である。私が処理しなければならない。誰もが目を逸らし関わりたがらないこの案件を。私が。だって今日の私は、岸田総理なのだから。

 

話を聞こう。話せばわかるかもしれない。目の前の蓮舫こと酔っ払いにまだ人の心が残っている微かな可能性にかけて、私は問う。

 

「待って。なに?何がしたいの?」

 

しかし奴はその瞬間すさまじいスピードで私の髪の毛を掴みにかかってきた。高校生クイズで回答ボタンを叩きつける強豪校を彷彿とさせるスピードである。

え?待って?なにこれ?現代社会において誰かに髪の毛を掴まれることなんてホントにあるの?なんで?私がしたことってそんなに罪深いこと?東大生ってやっぱみんなクイズ得意なの?私は回答ボタンじゃないんですけど?

パニックになる私をよそに、やつは私の頬を殴ってきた。今度はグーだ。親父にも打たれたことないのに。グータッチ?これが最高学府のコロナ対策なの?

 

圧倒的な暴力による支配を前に対話など無力である。私が恐怖におののきながら抵抗を続けていると、流石に周りの連中が蓮舫を取り押さえはじめてくれた。

 

この世には問題解決をしたくて闘う者と、ただ相手を攻撃することが目的になってしまっている者とが存在する。この蓮舫は間違いなく後者だ。話を聞いても意味がない人というのも確かに存在するのである。

 

私が蓮舫から離れたところで茶をすすっていると、今度は別の友達が殴られていた。バイタリティがすごい。人生に不満でもあるのだろうか。あるいはこれが東大式問題解決手法なのだろうか。この世に溢れる問題には、完璧な解など存在しないことがほとんどだ。だからどんな解決方法を選択しようが、必ず誰かには叩かれる。それを真理と呼んで、絶望することは簡単だ。しかしその考えの行き着く先は、暴力による支配だということなのかもしれない。諦めの先に絶望が広がり、支配へと繋がる。

 

 

殴られる友人をよそに、アクリル板の向こうのイケメンに、休みの日は何しているの?と聞いてみる。

あぁまたしても彼に自分のことを聞いてしまった。

 

そう後悔しかけた瞬間、彼は寂しそうな顔で、思いもよらぬ事実を口にしだした。

 

「友達がいなくて暇なんですよね。この前の3連休は毎日3人とリアル*1してました。」

 

 

3日で9回もリアル...。すごい...。マッチングアプリを通じて知り合った初対面の人間との面会を1日に3回もこなすそのバイタリティは、もはや尊敬にすら値する。というか、一つ一つの出会いを適当に扱いすぎでは?という気もほのかに抱いてしまう。

 

30歳を超えて、周囲の人間が結婚し始めて友達がいなくなってしまい、普通の友達が欲しくてリアルを繰り返しているのだそうだ。なかなかに辛い。

 

ゲイの世界において、リアルという手段の先にある目的は様々であるが、その多くは恋愛もしくは肉体関係がゴールとして設定されており、実は友達を作るのが一番難しいという説も有力視されている。お互いが恋愛対象となりうる二者間の面会においては、どちらか片方が発情した時点で友情関係を成立させるのは極めて困難なものとなるからだ。

そう考えると、モテすぎるのも大変なのだろうなぁという気もする。せっかく支持率が高いのに、仲間にロクなやつがいない。河野太郎状態である。

 

ブスにはブスの辛さがあるのと同様に、モテにはモテの辛さがきっとあるのである。

 

 

ちなみに、私を殴った蓮舫こと東大卒の男は、帰り道でさっきまで殴っていた友人をホテルに誘って断られてから電車に押し込められていた。そして彼は、この事件から1ヶ月ほど沈黙を貫き続けた。黙っていれば国民は忘れてくれるものだと思っているのかもしれない。その後突然謝罪のメールが来たが、こちらからの返信は無視されて終焉した。メンタリストdaigo並みの炎上対応のプロフェッショナルである。解決できない問題は、国民が忘れてくれるのを待つ。それが最高学府の叩き出した答えということなのもしれない。国民にできるのは、ただそれを忘れない、ということだけなのだと思う。

*1:マッチングアプリなどを通して知り合った人間が、お互いにはじめて現実世界で対面で面会すること。詳細はこちら