犬笛日記

それは犬笛のような魂の叫び

多様性の許容量

わたしは他人に厳しすぎるのかもしれない。

 

生産性向上が盛んに求められている昨今、多様性の重要さもまた、激しく叫ばれ続けている。強いチームには多様な人材の確保が必要、というのが最近流行りの主張らしく、自分と違う価値観の人も暖かく受け入れましょう、という言葉がどこまで行ってもついてくる。

 

けれど正直なところ、ワガママな私はそんな言葉を聞くたびにいつも、できることなら自分と似た人とだけ働きたいなと思ってしまう。私と同じように心配性で、時間を守り、協調性を大事にはするが他人に干渉しすぎない、そんなポリシーに賛同してくれる人とだけ働きながら生きていきたい。個々人が責任感を持って自分の仕事をやり遂げる努力を怠らないことこそが、強い集団を作るための必要最低条件だと私は信じている。

大雑把で時間にもルーズで、自分に甘い性質をマイペースなどという謎の言葉で自己弁護して、かといって他人に優しいわけでもないくせにやたらと人に助けだけは求める。自らの無知を開き直り、チームワークだの助け合いだのという言葉を盾に個人の責任を放棄する。そんな人間を多様性という言葉一つで受け止めるには、私の心は狭すぎる。

 

 

多様性を認めるということは、我慢をするということだ。理解できない他人の性質をまるごと、認めているふりをするということだ。

男女平等が社会に定着し出した当初だって、本音では「女なんて」などと思っていた人も大勢いたことだろう。そういった考えは、実は今でも色濃く生き残っているのかもしれない。けれど社会の建前が変わったことで、女性の生きやすさの向上へはかなりの効果があったはずだ。

 

社会の建前を変えること、誰かに我慢を強いること。どこまでを認めて、どこからを許せないとするのか、その線引きはかなりデリケートで難しい。少し間違えただけで、簡単に人を傷つけたり、雑誌が休刊に追い込まれたりする。

 

この世には、常識だとか伝統などと呼ばれている数多くの美徳がある。男は男らしく生きましょう。女は女らしく振舞いましょう。子供を沢山作り育てましょう。家族は仲良く支えあいましょう。会社や組織に尽くしましょう。困難には立ち向かい、如何なる時でも逃げずに耐えぬきましょう。学校には休まず通い、沢山の友達を作りましょう。誰かにとっては支えや誇りとなる美学が、別の誰かにとっては呪いのように思えてしまうこともある。冒頭に示した私の考えだって、きっと誰かを苦しめる。

 

 

不運と怠惰の境界線はどこにあるのか、常識と偏見の間に境目なんて存在するのか。

 

私たちは今日も、どうか自分を認めてくれと叫びながら、普通の人に出逢いたいなどとほざく。

 

もう少し、他人に寛容にならないとな。そんな風に思っていた矢先、私のもとに新たな出会いが飛び込んできた。

 

 

出会い系アプリにて、物凄いイケメンから「可愛いですね」というメッセージが届けられたのは、突然のことだった。

 

それはもう物凄いイケメンだった。ドラマの主人公になれるレベル。しかも日常的なトレーニングをする必要のある警察官らしく、完璧とも形容できるマッチョ。29歳。

 

そんな人が私に向かって「可愛い」と言ってくれている。

 

 

カワイイは作れるだなんて、私はウソだと思う。見えなくなってしまっている可愛さを可視化することはできるのかもしれないけれど、はじめからそこに無いものを作れたりなんてしない。

 

けれど今、彼が私のカワイイを見つけ出してくれた。カワイイは、それを見つけ出してくれる人の前でだけ光を放つ。

彼に会ってみたい。この輝きの先に何があるのかをこの目で確かめたい。

 

 

だが、私には一つだけ気になることがあった。

 

 

彼のプロフィールにあった一文。

 

 

「かなり特殊な性癖があります。」

 

 

これは一体、なんなのだろう。

 

 

私のことを可愛いと言ってくれているのと何か関係があるのだろうか。もしもそれこそが彼の言うかなり特殊な性癖とやらの正体なのだと明かされたら、私はどんな表情でそれを受け止めればいいのか。

いや、仮にそうだとしても、それは怪我の功名と捉えるべきではないだろうか。愛されるのにいちいち理由まで指定しだしていたら、掴めるはずの幸せだって逃してしまう気がする。

 

 

ここは多様性の許された世界。

今更何を恐れることがあるというのか...!

 

 

 

「度を超えた性癖って何か聞いてもいいですか?笑」

 

 

慎重に言葉を選びながら、彼との一問一答を開始する。

 

 

「聞いてもいいすけど、めちゃくちゃきもいフェチなんでドン引きするかもですよ?」

 

 

いいすって言った...。彼はやたらと「〜す」という言葉を使う。好きすヤバいすそうなんす。普段なら「なんだコイツいい年こいて体育会ぶりやがって」と強烈に抵抗を感じる喋り方なのだが、本当に現役で体育会の世界にいる人間だと知った上だと、なぜか逞しさの象徴のようにも思えてしまう。

 

そんな逞しい男の子が、自分のフェチを明かすことについて予防線を張っている。怯えているとも取れる。その口ぶりから、彼が今まで自分の気持ちを素直に口にするたびに、周囲からどんな感情を浴びせられてきたのかが、ほんの少しだけみて取れる。

 

わかる。わかるよその気持ち。

 

自分の気持ちに素直になりましょうと謳うこの社会は、そのくせマジョリティから逸脱した素直さを見せられると途端に手のひらを返す。

 

だからせめて今だけは、私だけは、彼の気持ちの理解者になってあげたい。

 

大丈夫。大丈夫だよ。私なんて男のくせに男が好きなんだから。その時点でもうバグってんだから。今更何を明かされたって、あなたを否定する権利なんて私にはない。

 

両腕を広げて、彼の心を受け止める準備を整える。

 

 

彼が少しずつ、口を、心を開き始める。

 

 

 

「スポーツ用のショートスパッツとか水着とかって持ってますか?」

 

 

 

え...?水着だと普通の海水浴用のやつしか持ってないけど...。あ、でもスパッツなら昔使ってたやつがあるかもしれない。

 

 

 

「おおおおおおおおおおお!!!」

 

 

え?ここでそんなに盛り上がる?スパッツフェチなのかな...。まぁ珍しいといえば珍しいのかもしれないが、特筆すべきことではない気がする。競パン*1フェチとか多いと思うし。

 

 

 

「どんなやつか見てみたいです!!!!!」

 

 

 

急にスイッチが入った彼の勢いに押されて、タンスの奥からスパッツを探し出し、写真撮影して彼にメールで送付する。

 

 

 

「ぶはっ!!!!!!これいいすね!!!!!!」

 

 

 

お気に召したようで何よりである。そして、フェチが全然大したことなくて、少しホッとしている自分がいる。そんなのぜんぜんキモくなんてないですよ。男が好きなことに比べたらぜんぜん...

 

 

そう言いかけた瞬間だった。

 

 

 

 

 

 

「実は俺のフェチっていうのは、このスパッツをめちゃくちゃ精子臭くして履いて、俺に嗅がせながらうんこして欲しいっていうフェチなんすよ」

 

 

 

 

中途半端に閉じかけてしまっていた両腕に、情報の洪水が襲いかかる。

 

不意をつかれた情報のダム決壊。頭の中で、勢いよく流れる水の映像が、彼が口にしたスパッツの中の光景とリンクする。受け止めきれない津波の量に、頭を真っ白にされる。

 

 

 

今までにいくつかの本や映画で、カミングアウトのシーンを目にしてきた。ゲイの当事者が勇気を振り絞り、家族や友人に自らのセクシャリティを告白するシーンには多くのドラマが宿っていた。そんな中にあって、思わず目を背けたくなるほどの緊張感に包まれる当事者の姿以上に、いつも私の目が釘付けにされるのは、カミングアウトの受け手側のリアクションの方だった。

理解を示す者もいれば、抵抗を隠し切れない者もいた。千差万別なその姿を見るたびに、もしもいつか誰かが、私に秘密を告白してくれるようなことがあったならば、まずは暖かく受け止められるような大人になろうと決めていた。

 

 

だから私は、こんなところで流されるわけにはいかない。
体制を立て直すために、足を踏ん張る。あぁいや、踏ん張るって、別に深い意味はなくて...という微かな思いを胸に秘めたままに。

 

 

「それはすごいですね...。何かきっかけとかあったんですか...?」

 

無理をせず、素直な思いを口にする。彼の背景にあるものを知ることが、相互理解の第一歩のはずだ。

 

 

「男とは初体験のときからいきなりそういうプレイだったんで、そういうプレイしかしたことないんすよ(^^;」

 

 

えぇぇ。どういう初体験ですかそれ。。

 

 

「職場の後輩にプールで泳いだ後シャワールームでいきなりおそわれました」

 

 

なにそれ!それだけ聞いたらBL的に素晴らしいシチュエーションじゃん!!!

 

なに?それでその後輩に、その...嗅がされたりしたんですか...?

 

 

「いえ。新人の後輩に襲われたんですが、ケツとかいじられそうになったんですけど俺は痛くて入るわけないし、相手年下やし、オレはぜんぜん興奮しないし、後から冷静に考えて、なんでオレがこんなクソガキにおかされなあかんねんと思って、指でケツをいじめてやったんすよ。そしたら相手は自分が攻めるのはやってるけどケツを攻められるのは初めてだったみたいで、指を抜いて水着履いた直後に不意にうんこを大量に漏らしたんすよ。それを見てオレは、初めて自分のチンポが勃ってることに気付いたんす。」

 

 

 

気付いたんす...じゃねぇよ...。どんな気づきだよ...。

 

予想外に情緒的な言葉で締めくくられたエピソードに、返す言葉が見つけられない。

 

 

返信に戸惑っていると、彼はさらに新たな衝撃を叩き込んできた。その勢いはまるで、演技後半の羽生結弦のようだった。

 

 

「あ、はじめに言っときますけど、自分妻子持ちっす」

 

 

カミングアウトの4回転。演技後半は1.1倍。

 

 

 

男女のカップルと平等な婚姻の権利を訴える同性愛者の人々がいる一方で、ゲイの世界においては、浮気や不倫は当たり前だという声がよく聞かれるというのもまた、真実である。その主張は、男女のカップルにおいて使われる場合と比較して圧倒的に堂々と語られる確率が高い。開き直っていると取られても仕方ないだろうなと思う。

 

けれどやっぱりそれは、いけないことなんじゃないかなという気がする。

 

 

難しいテーマから目をそらしたくて、私は気になっていたことを追加で質問する。

 

 

「あの...精子臭いってのは、さっきの話には登場しなかったかと思うのですが...」

 

 

 

「あぁそれは、さっきの後輩がオナニーした後に放置してた水着の臭い嗅いだら臭くて興奮したってのがきっかけっす!」

 

 

 

複雑!!!!いや、発生している事象は極めてシンプルなのかもしれないけれど、どこまでが不可抗力で、どこからが自分の意思によるものなのかの境目が見えない。おめぇ無理やり襲われたんじゃねぇのかよ。なに嗅ぎにいってんだよ。

 

 

あの...うんこと精子ってのは両方ないとダメなんですか...?どちらかだけとか、あるいは両方なくてもいけたりはしないんですか...?

 

わたしにとっての僅かな希望を込めて、彼に問う。

 

 

 

「いやぁ両方必須ですね。それがないと勃起しないんす。一度勃起すればあとは持続できるんですけどね。やっぱ始めはないとダメっす。うんこと精子臭いスパッツは両輪っす。」

 

 

 

今までで一番すごい両輪という言葉の使い方である。

 

ていうか...精子臭いスパッツってなに...?

 

 

「スパッツ履いたままオナニーして、それをジップロックに入れて真空にするってのを5日くらい繰り返せば、すごく臭いスパッツが完成するっすよ!!」

 

 

 

てまひま!!!!

 

すごい手間暇かかるんだね...秘伝の味だね...。

 

 

「そうなんっす。だから自分が会えるのは、5日くらいかけて精子臭いスパッツを用意して、それ履いてうんこしてくれるっていう人なんでかなり貴重っす。」

 

 

それは貴重すね...。今まで何人くらいいらっしゃったんでしょうか...?

 

 

「このアプリはじめてからは、20人くらいっすね」

 

 

意外と多くね...?やっぱイケメンってすごい...。私たちはイケメンの前では手間暇を惜しまず、時にうんこすら垂れ流してしまうほど無力な存在なのか。

 

 

 

「あ、自分今は出張で東京に来てるんすけど、普段は九州なんです。犬笛さん、九州に来ませんか?」

 

 

強気すぎる。羽生結弦のフリープログラムかよ。何回大技に挑むつもりなんだよ。

 

私に丹精込めてそのスパッツを用意して九州まで飛んで脱糞しろっての?危険物検査とかで引っかかったらどうすんの?

 

 

 

多様性ってなんだろう。

受け入れるってどういうことだろう。

 

私にも、嫌いな人はいる。けれど、心の毒を隠せるということが、成熟した大人であり、国家だと、野田聖子氏が言っていた。誰かを裁く権利なんて私達は持っていないから、日々の出逢いをどう昇華していくのかが、大人の力量として現れるのではないかと思う。

 

 

「九州ですかぁ。ちょっとすぐには行けそうにないので、少し検討しますね。」

 

 

成熟した大人として、私の受け答えは恥ずかしくないものだっただろうか。

 

 

 

 

 

そう回答してから数ヶ月が経過した頃、そんな出来事はすっかり忘れていた私の元に、エキシビジョンマッチの開催が告げられたのもまた、突然のことだった。

 

 

 

はじまりはSNSでの後輩の一言だった。

 

 

 

「昔九州でリアルしたことがある警察官が逮捕されてる!いい人だったからビックリだなぁ。」

 

 

 

なんとなく胸騒ぎがして、彼が記載していたニュースのURLをクリックする。

 

 

 

 

 

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〇〇市の警察官、男子高校生に淫らな行為をした疑いで逮捕

〇月〇日、〇〇市にて、警察官の〇〇〇〇容疑者(35)が、下校途中の男子高校生(17)に声をかけ、強引に廃ビルへと誘い出し、淫らな行為をしたとして逮捕された。本人は容疑を認めている。高校生が帰宅後に母親に相談し、母親の通報により発覚した。

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そのニュースに記載されていた名前は、先日やりとりしていた彼の名前と一致していた。

 

でも、一致しているのは名前と職業だけだ。年齢が違う。性癖だって違う。彼はあのアイテムがなければ欲情しないと言っていた。下校途中の高校生がたまたまそんなものを持っているはずがない。

 

 

 

けれど、この胸騒ぎはなんだろう。

 

 

 

後輩に私が持っていた彼の写真を送付して事実確認を急ぐ。もしかしてそれってこの人じゃないよね...?

 

 

「えぇ!?この人ですよ!!!知り合いなんですか!?」

 

 

嘘でしょ...私には誰かを裁く権利なんてなかったけれど、国が裁いたというの...?

 

だって29歳つってたよ...「犬笛さん!自分に敬語を使う必要はねぇっすよ!」とか言われて、私ちょっとときめいたこともあったんだよ...?

 

「自分があったときは本当の年齢言ってたと思うんで、この年齢で間違いないですねw」

 

なんなの...。もはや何が本当で何が嘘なのか...。妻子持ちだってことは知ってた...?

 

「あぁそれは聞いてましたー。家族がいちばん可哀想ですよね...。」

 

だよね...。で、あの、性癖のこととかは聞いた?てかヤッた...?

 

「いやぁ正直ヤりたかったんですけど、ただ会って終わりでしたねー。性癖のこととかは特に聞いてないですけど、なんかあるんですか?w」

 

 

あるんだよ...スゲェやつが......。

 

あぁでも高校生を誘ったってことは、必ずしもそれが性癖ではないのかもしれない...。

 

私は彼の言うあのアイテムをゲットしてはじめて、高校生と肩を並べることができるのだろうか。

 

しかしもう何が本当で何が嘘だったのかを確かめる術はない。容疑者は塀の中で、真相は闇の中なのだから。

 

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※この物語に登場する、人物、職業、地名、年齢などの情報はすべて架空のものであり、特定が困難となるように加工が施してあります。実世界の誰かに似ていたとしても、それは他人の空似です。

*1:ゲイの世界では競泳用のブーメランパンツのことをこう呼ぶ。