犬笛日記

それは犬笛のような魂の叫び

今から責任転嫁をします。

若者の当事者意識の欠如が深刻化していると言わざるを得ない。
私がブログや呟きで自分の経験や想いを発信するたびに、わりと多くの方から「幸せになって欲しい」などとメッセージを頂けることが増えてきている。とてもありがたいことだと思う。
だがしかし、誰一人として「俺が幸せにしてやるよ!愛してる!」と言い出す男が現れない。

 

なんなんですか?あなたたち。そんなんで、私が幸せになれるとでも思っているんですか?

 

幸せになってほしい。じゃねぇよ。お前がしてくれよ。当事者意識を持てよ。

そんなんだから、腐る程資産を持っているお年寄りにも一律給付した10万円を将来負担させられる羽目になるんですよ!!!

そんなんだから、検察人事に内閣が露骨に介入できるようになって「え?それってもはや内閣総理大臣絶対逮捕されないじゃん。不正し放題じゃん。」っていう謎の法案が国会に提出されたりするんですよ!!!

そんなんだから、年金がもらえる年齢が75歳まで繰り上げ可能になるっていう「それ今やる必要ある?」っていう法案までもがさらりと国会に提出されたりしてるんですよ!!!

 

こうやって、誰かが勝手に作った誰かにだけ都合の良い仕組みのもとで、死ぬまで働き続ける気なの?仕事に「やりがい」や「感動」を見出して、一生働き続けることが、あなたの幸せなの?

心からそう信じているのなら、その人はきっと幸せなので、それはそれでいいのかもしれない。なんならちょっと羨ましい。けれど私は宗教とかで救われるタイプではないので、そうはなれない。労働の本質は苦痛でしかないので、私は少しでもそれらを減らして、自由を手に入れたい。

一部の資産家*1が、その他大勢の労働者階級*2から搾取を行うために、労働に「感動」や「やりがい」といった宗教的な意味を持たせたのは、古代エジプト時代からずっと続いている人類の強固な文化なので、それに従っている方が楽だという人が一定数以上いるというのは容易に理解できる。今まで苦労してがんばってきたという自覚のある人ほど、その傾向は強くなりやすいだろうなぁという予測もできる。誰だって、自分の努力が無駄だったとか、搾取されるためだったなんて、認めたくはないもんね。

 

けれど私には無理。お年寄りのために謎に金を払って、いざ自分がお年寄りになったら老いた体にムチ打って死ぬまで働くとかホント無理。私がお年寄りのために年金を払ったところで、お年寄りは別に私を助けてはくれない。将来の若者が、自分を助けてくれるほどの余裕を心にもお財布にも詰め込んだ暮らしをしているという希望も、もはや持てない。

 

できることなら、私以外の人が一生懸命働いて税金を払って、私だけ脱法的に豊かにして欲しい。
そんな夢のような待遇を得る方法がないか調べてみたら、国会議員の下っ端になるのが一番手っ取り早いということに気づいたんだけど、立候補するためには今の仕事をやめて、300万円だか600万円のお金*3を払わなきゃいけないという大博打をしなきゃいけないらしく、そんなのとても無理。当選すれば年収3400万円も貰える上に、献金や政党交付金といった使途制限ナシのお金までついてくるというビッグチャンスなのに。悔しい。格差の固定化ってこういうことかぁと古代エジプトから強固に続く文化にひれ伏すことしかできない。

 

だからせめて気持ちだけでも幸せになりたい!誰か私を幸せにして!!!
我が国の総理大臣を見習って!!!妻が自粛期間中に大分旅行とかしても、「密閉ではないのでセーフです!」って国会で言い切っちゃうんだよ?すごくない?もはや愛の告白じゃん。たとえ世界を敵に回しても、俺はお前を守るよって。

平成手コキ女学院*4が「換気を十分にして営業しています!」って言ってんのと同じレベルじゃん。

あなたたち、愛する人のためにそこまでの弁護ができる?

私にはちょっと無理かもしれない。
なんなら自粛期間前から、いろんなことを我慢してるんだけどな。会いたい人に会えないのは、生まれてこの方ずっとだし。オーガニックにソーシャルディスタンスを守り続けてるし。だから私のことも国会答弁とかで褒めて欲しい。たとえ私の不幸の原因が私自身の非にあったとしても、公共の電波をフル活用して、私への肯定を、国民みんなに届けて欲しい。

だからせめて、少しくらいは政治のこともちゃんと知るようにして、選挙には行こうかなぁとか思うわけです。

 

 

政治における重要な一つのテーマが「自由」と「秩序」のせめぎ合いです。自由が失われてしまいつつある今こそ、このテーマについて考える良い機会ではないかなと思います。

日本人は保守的な思考を持つ人、すなわち、伝統によって作られてきた秩序を重視する人が多いと言われています。さんざん自由が欲しいとか言っている私もたぶんその一人です。そういう社会で生まれ育ったからというのもありますが、遺伝的に脳がそうなりやすいという理由もあるそうです。災害の多い島国では、変化を避けて社会の慣習に従って暮らしていたほうが生き延びやすいという事情があり、種としてそのように進化をしてきたのでしょう。

だからこの国では、多数の人が思考を停止し続けている限り、制度や仕組みはなかなか変わりません。結果、夫婦別姓も同性婚も認められていないし、結婚可能年齢に男女差もついているし、死刑も実施されていて、ブラック企業も違法にならない。
実はこれらは、OECD*5加盟国の中ではかなり珍しいことです。少数派であり、マイノリティ。この国の常識が、世界では非常識として扱われているということも普通にあるわけです。

 

なんでもかんでもいちいち「世界に目を向けよう」とか「日本は遅れている」とか言うやつは、私もちょっと苦手ですが、視野を広げることで、心が楽になったり、新たな発見を得られることもあります。

 

例えば、日本人は死刑制度を支持している人の割合がとても多いそうです。凶悪犯罪者、怖いですもんね。関わりたくないし、自分の知らないところでさっさと死んで欲しい。人道的に酷いことをしたんだから、そいつだって酷い目にあわせるべき。凶悪犯罪者に人権なんて、与えるべきではない。そうですよね。でももしもそれが、冤罪だったとしたら?
日本でも、後に科学的に無罪だと証明された人間が、死刑や無期懲役といった判決を下されたという事例がいくつか存在します。仮に警察の捜査がずさんで間違って起訴されてしまったとしたら、有罪率99.9%の刑事裁判があなたを待っています。聖人君子であるはずの警察官や裁判官が意図的に間違いを犯したりなんてするはずがないだろって?彼らだってただの公務員だよ?私や総理と同じように、愛する人のためなら世界だって敵に回すとか言い出しちゃうかもしれないような、ただの一人の脆くて弱い人間だよ?公務員の採用条件に、雇い主である国家に勇敢に立ち向かえること、みたいなことが書いてあるならいざ知れず、裁判官を左遷させるのも辞めさせるのも、上司が好きにしていいし、理由も公表しなくていいっていうのが、今の日本の制度なんだよ?
仮に冤罪で誤認逮捕が発生した場合でも、警察官や裁判官個人にはなんの損害もありません。身柄を拘束された本人に、1日あたり最大12500円(24時間だから時給換算すると520円程度)の刑事補償金が支払われて終わりです。有名な冤罪事件である「足利事件」や「東電OL事件」で無期懲役判決を下した裁判官には、なぜか後に天皇から勲章まで授与されています。

 

こういう例もあるので、警察も司法も人間が担当する限り、間違えることもあるよね、だから取り返しのつかないことはできないよね、ということで、死刑制度は廃止というのが、全世界では、多数派なんですよね。しかしこの考え方は、日本人にはなかなか受け入れられてはいないようです。

 

さて、あなたはどう考えるでしょうか?

世界の波に乗るべきでしょうか?今までのルールを続けるべきでしょうか?

 

それを決定づけるのが、政治の役割です。

 

絶対的な正義なんてどこにもないのかもしれないけれど、少しでも自分なりの考えを見出してみる。政治に参加するということは、そういうことだと私は考えています。

 

私たちは愚かなので、何かを失ってはじめて、その価値に気づくということがあります。いま、地球上の多くの人に、自由というものについて考えるきっかけと時間が与えられました。

 

みなさんが得たい自由とはなんでしょうか?守りたい秩序とはどのようなものでしょうか?
考えるという行為は、ときにしんどいものです。思わず顔を背けたくなるような不都合な真実ばかりが目に飛び込んでくることもあります。自分よりも不幸な人が目に入って、あぁ自分の考えなんてただの甘えなんじゃないだろうか...と尻込みしてしまうこともあるかもしれません。一見賢そうな人に何か言われて、自信をなくしてしまうことだってあるでしょう。
それでも、どうか諦めないでください。
自分の考えを持たない人生は地獄です。


そしてもしも時間を持て余したら、自分のこと以外にも目をむけてみてください。この世界のたくさんの不自由さに悩んできた人の気持ちにも、どうか少しでも想いを巡らせてみて欲しいのです。こうしている今も、命をかけて働いている人、自分のお店を守るために必死に策を練っている人、築き上げてきた財産を守るために知恵を絞る人、いろんな想いを抱えて必死に生きている人が大勢います。そういった状況の中で、誰を救って誰を見捨てるのか、取捨選択してきたのが政治です。そしてそれを支えてきたのが、私たち国民です。民主主義という甘美な言葉が、勝手にすべてを解決してくれるとは思わないでください。この国はいつしか「しかたがない」というため息が、政府を支える国になってしまいました。

残酷な真実に向き合うことが、辛く感じることもあるかもしれません。それでも必ず、広い視野と価値観は心を豊かで軽やかなものにしてくれます。たとえ体の自由が奪われたとしても、心の自由は簡単には奪えません。私はそう信じています。

 

f:id:inubueoshiruko:20200423160424j:plain

 

 

※すいません。煽るために意図的に過激な書き出しにしてしまいましたが、幸せになってほしいというメッセージ、実はとても嬉しいです。 もっとください。

 

政治ってなんだろう?と少しでも興味を持った方には、以下の本がとてもおすすめですので、外出自粛で時間を持て余している方は読んでみてください。

*1:参考文献に従い、純金融資産が5億円以上ある人たちを超富裕層とし、経済的強者と考えている。いわゆる生まれながらのお金持ちが多い。一生労働する必要のない階級。日本には7.3万世帯いると言われている。羨ましいですね。

*2:純金融資産(カネと金融商品のこと。現金や預貯金や株式のことです。家や車といったモノは入らないので注意してくださいね。)が5000万円以下しかない人たちを経済的弱者と定義しています。人生の大半を労働に費やさないと生きていけない人たちです。日本のおよそ5000万世帯弱がここに該当すると言われている。ほとんどの人がここですね。年収が1千万くらいあっても、相当がんばって長年貯金をしまくらないと、普通にここに入りますね。

*3:小選挙区の場合は300万円、比例代表区の場合は600万円の選挙供託金というお金を払わないとダメ。得票数が一定数いくと返してもらえるけど、無名な一市民が立候補するにはリスクがデカすぎる。

*4: https://www.inubue.com/entry/2017/07/11/214657 参照。東京大学に対抗するために私が設置した大学。通称手コ女。偏差値は80。キャンパスは歌舞伎町の雑居ビルの一室にある。

*5:経済協力開発機構という国際的な団体のこと。共通の経済・社会的基盤を有する先進諸国が連携・協力して、国際的な調査・研究及び、比較分析を行うとともに、これを広く公表し、各国の施策などの品質を向上させることが目的。イケてる国は大体入ってるよー、というイメージ。