犬笛日記

それは犬笛のような魂の叫び

生産性とエモーション

社会人になってからずっと嫌だなぁと思っていることの一つに「評価されるためには成果を定量的に示せ」と言われる、ということがある。

 

そりゃあ、評価する側からしたら何か明確な理由が欲しいのは当然で、テストの点数みたいに上から数字を並べないと説明がつかないという事情は分かる。

 

けれど、人間の魅力や能力って、そうなんでもかんでも数値化できたりするようなものじゃないよなぁとずっと思っている。どれだけ組織に貢献したか、という観点で考えても、そう変わらないと思う。みんながみんな、数値化できるような合理的な行動しか取らなくなったら、嫌な社会になるだろうなぁと、想像しただけで気が滅入る。具合が悪そうにしていても、誰も「大丈夫?」とか言ってくれなそうである。

 

私たちはいつも、なんとなく会う人を決めたり、なんとなく人を好きになったり嫌いになったりする。だから「どういう人が好きなの?」という質問が、意外と多くの人を悩ませるのだと思う。

 

 

 

最近、私と会って話したいという奇特でありがたい人間が何名か現れた。こんな変なブログを書いているやつに会いたいだなんて、それこそどういう基準で会う人決めてんだよっていう絶対にヤバい物好きでしかないのだが、有り難さと怖いもの見たさで、都合が会った方にお会いしてみることにした。

お誘いはtwitterから頂いており、私は相手の顔も年齢も素性もだいたいわかっている状態なのだが、相手は私の素性はおろか顔も知らないという超不公平な会談である。正直よく来るよなと思う。

 

一人目は、とてもピュアで優しくてイケメンな保育士の青年だった。常にニコニコしていて、なんだかキラキラしていた。
食事をしながら色々な話で盛り上がっていると突然、「僕が出会った最高の優しさの話をしてもいいですか?」と問われたので、何が始まるのだろうかとあっけに取られていると、海外の孤児院でボランティア中にひざを怪我した際に、そこの少年が湖で葉っぱを濡らして傷口に当ててくれた、というピュア度MAXの話を最高の笑顔で披露され、私の心のピュアスカウター*1は完全にぶっ壊された。

生きているとときどき、心の奥底から綺麗なんだろうな、という人間に出逢うことがある。私はその度に、超えることのできないピュアの壁を感じ、自分との差について考えてしまう。

 

彼からは、「もう一度人生をやり直せるとしたら、なんの仕事につきたいですか?」という人間性や人生観を伺い知るのにとても良さそうな質問も頂いた。こんなにピュアな彼のことだ。きっとすごく立派なやりたい仕事を胸に秘めているに違いない。ここで恥ずかしい回答はできない。私は頭をフル回転させて、この立派な彼に恥じないと思われる回答を叩き出した。

 

「お金のことを何も考えなくていいのならば、弁護士か脳科学者になりたい。これからは技術が加速度的に進歩して、人間の生活はどんどん便利になるだろう。働かなくてもよくなるかもしれない。あるいは、働いたら邪魔になるだけだと言われてしまう人も大勢出てくるかもしれない。そんな時代に、武器になるのは法律やルールを知っていること、あるいは変えることで、救いになるのは人間の気持ちを理解する学問だと思う。人の感情や性質には必ず意味がある。同性愛というものですら、人類の進化のために何か意味があったはずだ。自分はそういうことを突き詰めたい。」

 

決まった...!我ながらなんて立派なことを言うんだろう。カッコイイ。録音しておけばよかった。着うたとかにしたい。この目の前の青年も感動していることだろう。今頃私に惚れてしまっているかもしれない。これで彼が国境なき医師団に入りたいとかクソ立派なことを言い出したとしても、私は堂々と彼の目を見続けながら、大人の余裕とともに話を聞いてあげることができる。さぁ、君は何になりたいんだい?(ワイングラスを傾けながら)

 

「僕は羊飼いになりたいです!」

 

そうきたかーーーーーーー!!!!!!!

ピュアスカウター木っ端微塵。

一人でなんか妙にカッコつけたことをつらつらと喋ってしまったことが急に恥ずかしくなってきた。。調子に乗って本で読んだだけの脳科学やらのうんちくまで垂れて私何やってるんだろう。。こんなことなら石油王になりたいとか、もういっそお母さんになりたいとか言えばよかった。「わたしのこと本当のお母さんだと思ってくれていいのよ」とか一度言ってみたいんだよねーとか語っとけばよかった。ていうかなんなの羊飼いって。職業なの?あれって実家が羊飼ってる人が適当に名乗ってるとかそんなんじゃないの?

 

「いやいや職業ですよ。羊の毛をね、売るんですよ。実際にニュージーランドに行って見てきたんですけど、最近はすごいですよ。羊の毛、どうやって狩るか知ってます? バリカンじゃないんですよ。最近は、なんかネットみたいなのを2人で持って、それで羊の周りをシュッってやって一瞬で毛を絡めとるんです!でも自分には羊飼いは難しいなって思いましたね。ぜんぜん休みがないんですよ。それに、最終的に羊がラム肉として売られちゃうので、あぁこれは自分には無理だなぁって。。」

 

え...なに...リアルに検討してたやつだったの...なんかごめん......。

 

なんでこんなピュアな人が私なんかに会いにきたんだろう。。これもボランティアの一貫なのだろうか。。

 

そう尋ねると、彼曰く、ブログの文章というのはその人を知るのにとても良い材料だと考えているからということだった。現在ゲイの出会いの手段として主流となっている出会い系アプリで得られる顔写真や簡単な紹介文なんかよりもよほどその人のことが知れるのだと。

 

出会いアプリが流行る前はmixiのようなSNSのゲイ専用版が流行っていたらしく、日記やコミュニティ、紹介文などからその人の人柄がより想像できたということで、彼にとってはそちらの方がよかったと思っているのだそうだ。

 

出会いが手軽になったことで、失われるものもあるのだなと思うとなんだか感慨深い。

 

 

二人目は年下の弁護士の方だった。育ちの良さが随所に現れていて、嫌味ではない自己肯定感の高さが伺えた。彼からは、なんというか、同性愛者特有の将来に対する漠然とした不安、というものが一切感じられなかったので、その理由を探ると「なんでですかね。親の育て方がよかったんですかね。」というあっけらかんとした返事が帰ってきた。

  

彼には2年付き合っている彼氏がいるらしいのだが、出会った頃のような恋のトキメキを感じることはもうなくなってしまったのだと少しだけ寂しそうに語っていた。

恋のトキメキは長い人でも4年、短い人だと3ヶ月でなくなってしまうらしいよ、と私がまたしても調子に乗って脳科学の豆知識を披露すると、そこから先の関係ってどう作ったらいいんだろうね、やっぱり結婚制度って偉大なんだね、というもやもやした結論へと着地した。

 

その後もとりとめもない話を続けていると、最近、彼の友人が掲示板で人に出会うことにハマっているという話が飛び出してきた。

 

前述したゲイ用のSNSが流行る、さらに前の出会いの手段として主に用いられていたのが掲示板なのだと聞いたことがある。

 

今の時代にわざわざ掲示板を使って人と出会うメリットってあるの?あれってITリテラシーがめちゃくちゃ低い人が未だに使ってるってだけなんじゃないの?と私が尋ねると、あえてアプリを避ける人も世の中にはいるのだよ、ということを教えてもらった。

 

確かに、私もそうだった。3年前、ゲイの世界に初めてデビューした頃、何もかもが怖くて、会う人みんなに怯えていた。用心深く人間不信な私は、インターネット上に顔を出すことですら極力避けていた。それが今や、ゲイ向けのアプリに顔写真とともに登場しているなんて、あの頃の自分が見たら、気でも触れてしまったのだろうかと思うだろう。 

 

私が失ってしまったピュアさが、周到さが、原石としての輝きが、その場所にはまだ残っているのかもしれない。

 

翌日、ちょうど暇だった私はさっそくゲイ専用の出会い用の掲示板を覗いてみた。

いまから会える人募集!みたいな人たちが、自身の簡単なプロフィールと共にスレッドを立てており、興味があればその人にメールを送信できる、という仕組みだった。

休日の昼間ということもあったのか、私が想像していたよりもずっと多くのスレッドが早いペースで立ち上げられていた。

 

しばらく眺めていたのだが、いかんせんそこには写真や画像はなく、文字だけで返信したい人を決めるというのはかなり困難だった。しかも文字といっても、身長体重年齢、あと一言、みたいな感じであり、検討の余地がほとんどない。メールを送って仮に会うことになったとして、一体このスレッドの向こうからどんな人がやってくるのか、それは完全に運ゲーのように思えた。

 

そのときである。悩み続ける私の目に、タイトルに隣駅の名前が記述されたスレッドが飛び込んできた。相手の年齢が私より7つも下だったので少し躊躇したが、ものは試しだと思い切ってメールしてみることにした。

 

メールには何を書けばいいんだろう...とまたしても悩みながら、自分の簡単なプロフィールと、近くにいますよ!写真の交換もできますよ!とアピールする文章を添えてみた。お互い、素性の知れない人にあうのは怖いだろうという気遣いから生まれた配慮である。

 

相手からすぐに返信のメールが届いた。メールありがとうございます!というお礼の言葉と共に、相手の写真が添えられていた。今風のイケメンだった。

 

やばい。いきなり当たり引いちゃったかも知れない。自分の嗅覚が怖い。

しかし当然、まだこれで彼に会えると決まったわけではない。約束通りこちらからも写真を送らねばならない。相手がイケメンだったことで、私は一瞬舞い上がったが、すぐに不安に包まれてしまっていた。こんな人が、自分なんかにあってくれるだろうか...。

絶望的な気持ちで自分の写真を添えたメールを送信すると、またしても彼からはすぐに返信が来た。

 

「かっこいいですね!ほんとに自分なんかでいいんですか!?」

 

いいに決まってるじゃん!なに?なんなの??美意識どうなってんの!?もしかして変な壺とか売ってくる系の人なの!?

 

その後のメールで、彼は大阪から旅行で友達のところに遊びに来ていたらしいが、昼過ぎからは暇なので、うちに遊びに来る、ということになった。

 

大阪の人かぁ。。

 

大阪の人と会っても、すぐに会えなくなってしまうので、あまり生産的ではないな...とも思ったのだが、人と人との出会いって、そういうものでもないよな、と考え直し、家の掃除をしながら彼を待つことにした。 それに、大阪からわざわざ来ているということは、壺などを売られるリスクも低いと考えてよかろう。

 

彼は「そちらに着くのは13:00くらいになると思います!」という事前の宣言のきっかり5分前に到着した。到着予定時間をリアルタイムに報告し、「今コンビニなんですけど何かいるものあります?」という気遣いまでみせる律儀な性格には大変好感が持てた。

 

目の前に現れた彼は、写真から受ける印象よりもさらに魅力的だった。若くて、元気で、少しチャラい。壺は持っていない。

 

彼は借りてきた猫のように正座でちょこんと床に座り、「すいません外が暑くて汗いっぱいかいちゃって」と持参したタオルで汗を拭きながら、机の上にあったカルディのスタンプカードを「みちゃおー」と言いながら開いたりしつつ、「東京は色々あっていいですねー」と話し出した。

「大阪にも色々あるでしょw」と尋ねると「いやいやぜんぜん違いますよー。大阪は中心部を離れるとすぐに田舎になっちゃいますから。」と上京あるあるを返答してくれた。「関西弁がぜんぜんでないんだね」と伝えると、「仕事で目上の人と話すときは標準語で喋るようにしてるから、消そうと思えば消せるんですw」と言っていた。

 

彼は大阪の中心部から30分程度離れた所にある実家で、家族と共に暮らしているのだそうだ。自分がゲイだということが誰かに発覚することを非常に恐れており、大阪にいるときには絶対に写真の交換などはしないらしい。今回は東京に来て、さすがに知り合いはいないだろうと考え写真を添付してくれたとのこと。掘り出し物である。ゴッドハンド私。

 

一通りいろんなことを喋り終えたくらいで、彼から「今日の夜って何か予定あるんですか?」と問われたので、何もないことを伝えると「じゃあよかったら一緒に夜ご飯食べたいです!」と提案を受けた。よかった。私の印象、そんなに悪くないらしい。

 

汗だくの彼にシャワーを貸して、一緒に部屋で過ごしているうちに、あっという間に夕方になった。そろそろ夕飯を食べに行こうかという時間だが、彼が、せっかくなら一緒にご飯を作って食べようと言いだした。料理できるの?と尋ねると、自信満々に「任せろ!」と頼もしい返答をくれた。

 

一緒に近所のスーパーに材料を買いに歩きながら、「にいちゃんみたいないい人に出会えて本当に良かった。まずこんな風に普通に話せる人に会えるだけでも貴重だし、にいちゃんカッコいいし。」となぜか繰り返し大袈裟に褒められた。気づいたら私の呼び方は「にいちゃん」になっていた。
彼は私に名前を教えてはくれなかった。そのかわりになのか、せっかく教えた私の名前をあまり呼ぼうともしてはくれなかった。

 

作る料理は豆腐ハンバーグに決まった。「使うひき肉は牛・豚・鳥のどれでしょう?」などと彼から出題されるクイズに回答しながら材料をカゴの中に入れてレジに向かう。

お会計はなぜか彼がすべて払った。旅費がかかっているし私が払うと申し出たのだが、家にお邪魔させてもらっているからと頑として受け取ってはくれなかった。

 

大葉を細かく刻む彼の包丁さばきは手馴れていた。私は彼に言われるがままに、豆腐と鳥ひき肉をぐちゃぐちゃに手で揉む係になった。「これであとは焼くだけなんやで?簡単やろ?あ、ひっくり返すときに使えるようなもんある?」と問われた私が、棚の奥から3年ぶりくらいに日の目をみることになったフライ返しを取り出して「こんなんでどうでしょう?」と伺うと「100点やん!」とまたしても大袈裟に褒めてくれた。彼は私にたくさんの100点をくれる。

 

料理一緒に作るの楽しいね。でももうすぐ大阪帰っちゃうんだね。寂しいね。と呟くと、「...でも幸せってそういうもんじゃん?」と彼が言った。私はちゃんと腹落ちしてないくせに「そっかぁ。そうだよね。」と納得したふりをした。たぶん幸せってそういうものだ。

 

豆腐ハンバーグは3つ完成した。1つは彼が、1つは私が食べる。もう1つは明日私が食べれるようにと彼がラップを撒いて冷蔵庫にしまってくれた。

 

二人並んで豆腐ハンバーグを食べる。「うん美味い!な?美味いやろ?しかもタンパク質たっぷりやからな。コンビニとかにあるサラダチキンに飽きたらこれ作ればええねん!」彼はよく喋る。

 

「次東京来た時も遊んでな。でもにいちゃんすぐ彼氏できそうだからなぁ。自分が東京にいたらずっと一緒にいたいって思うもん。彼氏できたらもう遊んでもらえなそうやなぁ。」

 

「まだその予定はないから大丈夫だよw」

 

「なんでやろなー。」

 

「なんでだろーねー。世の中どうかしてるよねw」

 

「......にいちゃんさぁ」

 

 「...ん?」

 

 

 「にいちゃんはまだ、戻れるよ。」

 

 

え?

 

 

戻れるって...なに?普通に結婚するとか、そういうこと?

 

 

「うん。だってにいちゃん、すごくちゃんとしてるし、頭も良さそうだし、絶対戻れるよ。」

 

 

 

私はこう見えて、実は結構、今の自分が好きだ。それでも時々不意に誰かに「あなたは不幸なんですよ」と告げられたくらいで、自分の足元がガタガタになるのは、 どこかに自信が持てていない証拠なのだろうなと思う。

 

 

 「...戻れないよ。ていうか戻る必要なんてないと思ってるよ。それに、その理屈で言ったら自分だって戻れるじゃん?w」

 

 

「俺はいいんですよ。自分の血が嫌いだから。絶やしたいんです。でも兄さんは戻った方がいいですよ。」

 

 

彼が同居中の家族とうまくいっていないという話はすでに聞いていた。彼からは何度か「にいさんは育ちが良さそうですね」と言われていた。私はその度に「そんなことないよ。これは後から自分で身につけたものだよ。君にもきっとできるよ。」と応えそうになっては踏みとどまった。相手を勇気付けようとして放った言葉が、かえってその人を追い詰めてしまうことがあるからだ。

 

 

保育士の彼は言っていた。「たまに、幸せになりたいとかって言う人いるじゃないですか?あれってなんなんでしょうね。だってこんな風にご飯を食べてるだけで充分幸せじゃないですか。」

弁護士の彼は言っていた。「悩み?特にないかなぁ。将来への不安?それも別にないです。それってみんな感じるものなんですか?」

彼らと、私と、目の前のこの子との、違いはいったいなんなのだろうか。

 

 

「そんなことないよ。これから先、きっと楽しいことがたくさんあるよ。自分もね、ゲイの人と会うようになったばっかりの時、周りに変な人しかいなくてそりゃもう大変だったんだから。でもね、徐々に自分に会う人に巡り会えたりして楽しくなって来たんだ。だからきっと、大阪でもそういう人に会えるよ。辛くなったらまた東京に遊びにおいでよ。」

 

 

この子の孤独を救ってあげたい。この子に希望を教えてあげたい。目の前のこの子に、自分の見てきた楽しいことや優しいこと、嬉しいことを全部伝えてあげられたらいいのに。

けれどいくら言葉を尽くしたところで、自分の体験してきたことのすべてを伝えきるなんてことはできない。この子の経験してきた辛さや悲しさを全部はわかってあげられないのと同じように。

 

 

 

 「最後に一つだけお願いがあるんです」

 

なに?

 

「にいちゃんと一緒にお酒が飲みたいから、一杯だけ飲み行きたいです。」

 

 

 

居酒屋へと向かう住宅街で、彼は何度も私と手を繋いできた。私はその度にすごく焦り、急いで周囲を見渡した。その様子を見て彼は「大丈夫ですよ。ちゃんと周り確認してるから」といたずらっぽく笑った。ひと気を感じるたびに手を振りほどくのはいつも私の方で、その度に「あのねぇ、君は大阪に帰るからいいかもしれないけれど、俺はここに住んでるんだよ?w」と説教をさせられる羽目になってしまった。けれど、大阪に帰ったらまた隠れて生活していかなければならない彼の心情を思うと、少しは羽を伸ばさせてあげたいなという気持ちも強くあった。

 

「ねーねー。人生で一番の失敗ってなんですか?」

 

「うーん。なんだろう...。ゲイの世界にデビューするのが遅かったことかなぁ。」

 

「えー。それが失敗なんだぁ...。」

 

「うん。やっぱり学生くらいの頃から恋愛とかちゃんとしたかったなぁ。そっちは?何かあるの?最大の失敗。」

 

 

「......変な風に捉えないで欲しいんですけど、自分はやっぱり、こっち(ゲイ)になってしまったってことですかね...」

 

 

それは...失敗なんかじゃないよ...。

 

何が彼を、ここまで追い詰めてしまったのだろうかと思う。感じる必要のない劣等感や罪悪感を、彼に植えつけたものとは一体なんなのだろうか。

すべてを、合理的に説明できたらいいのに。炊飯器や電子レンジの機能を説明するみたいに、彼の行動の価値を、存在の有り難みを、ぜんぶ、誰にでもわかるくらい明確に、説明できたらいいのに。

例え彼の親が、兄弟が、上司が、友達が、どこかの政治家が、彼の人生に価値はないと言ったとしても、そんな言葉に耳を貸す必要はないのだと、誰にも反論できないくらい完璧に、今すぐ証拠をかき集めてこれたらいいのに。

 

けれど、さっき彼の手を振りほどいた自分に、そんなことを言う権利はあるのだろうか。

 

 

泣きそうになりながら下を向いたまま歩き続けていると、彼がまた手を繋いできて「やっぱにいちゃんめっちゃ好きやわー」と言って笑った。

 

彼は居酒屋についてからも、「おすすめなんですかー?これめっちゃ美味いわー」と店員さんにやたらと絡みたがるくせに、カウンターの下で私の手を握ってくるという無邪気さMAXっぷりを発揮し続けていたので、私ももうどうにでもなれという気分になり、手を繋ぎながらご飯を食べた。最後の晩餐くらい、ずっと笑っていたかった。

 

 

彼はその後大阪へと帰っていった。電車に乗った彼の顔は、笑っていたけれど、どこか寂しそうにも見えた。

 

別れてすぐに「本当に楽しいひとときだった」というメールが届いてほんの少しだけ救われた気持ちになった。

 

翌朝、彼が作り置いてくれていた豆腐ハンバーグを温めて1人で食べた。昨日みたいに美味しくはなかった。

*1:ピュア度をはかるスカウター。あまりにもピュア度が高いとボンッ!と音を出して壊れる。分からない人はドラゴンボールを読んでね。