数年前の春、女友達とランチをしていた際に、彼女が口にした台詞が未だに忘れられない。
「わたしには、絶対に花粉症になりたくない理由があるの。それは春を嫌いになりたくないから。わたし、季節の中で春が一番好きなの!」
凄まじい女子力だなぁと感心したことを覚えている。彼女は数少ない私が尊敬する人間のうちの1人で、頭脳明晰で成績優秀、その上変に気取ったところがないので取っつきやすく人望も厚い。おまけに美人である。
その台詞からだけでも、今まで彼女が送って来た人生がいかに充実したものだったのかが想像できる。
新しい学校、新しいクラス、新しい友達。知らない土地に慣れない職場。ドキドキとワクワクを引き寄せる人生の転換期。
いつからだろう。そんな感情の高ぶりを運んできてくれていたはずの春という季節が、気づいたら人生を素通りしていってしまうようになったのは。
いつからか、自分が社会人になって何年目なのかさえも、すぐには言えなくなった。新入社員を見かけても後輩が出来たとウキウキすることもなくなった。色んなことを器用にこなせるようになり、変に気合を入れなくとも、無難に毎日を過ごせるようになった。たまにある人事異動ですらも、適当に乗り切れるようになった。
新入社員の頃の私は、将来は社長まで上り詰めてやろうと野心を燃やしているような人間だった。まともな社会人はみんな毎日全力で仕事に取り組んでいるものだと思っていた。そこに生き甲斐を見出せるものだと信じていた。不真面目な先輩社員が許せなかった。何も価値を生まない彼らを見下しては、あぁはなるまいと決意した。
それがいつからだろう。妙にやる気のある新人を若さという言葉で揶揄するようになったのは。「頑張りすぎないでね」などと偉そうに助言したりするようになったのは。適当に仕事をする人を見ても、なんとも思わなくなったのは。
気づいたら、色んなことを上手に諦めてしまえるようになっていた。人は前向きにそれを、順応なんていう風に呼ぶのかもしれないけれど。
時を同じくして、周りのアラサーたちが口を揃えて「生きる目的がわからない」などと言い出すようになった。消化試合と化してしまった人生に、変化を生まない毎日に、ウンザリしながらも、どうしていいのか分からないのだと。生きているというよりも、ゆっくり死んでいるだけなんじゃないかという焦燥感がそこにはあった。
普通なら、家族のためにとか子供のためにとか言って、そこに意義を見出すべき世代なのだろう。けれど普通ではない私たちは、誰からも見本を示してはもらえないから、長すぎる人生を見通しては、時々絶望に打ちひしがれる。
今回は、そんな同じような想いを抱えていたある一人の男の生き方のお話。
奴と初めて出会ったのは、私がまだゲイとしての活動を開始してまもない頃、出会い目的のゲイが40人ほど集まった飲み会でのことだった。
私は知らない人との飲み会が苦手だ。こういう会は特に難しい。相手の年齢も職業もよく分からない上に、聞いてしまってもよいものなのかも定かではない。探り探りの薄い会話を繰り返すたびに、必死になってる自分が馬鹿みたいに思えてきて虚しくなる。
そんな時に、奴は現れた。
私が参加者の一人と会話していると、その参加者の知り合いと思わしき一人の男が、「はろ〜!」などと言いながらヘラヘラ合流してきた。
私がゲイの世界にデビューして間もないことなどを話していると、「もー!そういうのいいからー!ベテランの風格隠せてないからー!」などと褒められているのか貶されているのか、よく分からないことを言ってきた。
いやいや本当だから、と説明すると、奴は「うーん。じゃあさ、顔射されたらどうするの?」という脈絡のまるでない耳を疑うような質問をぶつけてきやがった。
私も相手にしなければいいのに、なぜかこいつにだけは負けたくない、という意地が働き、頬に両手を当てながら「が、がんしゃ...?そ、そりゃああれだよね。ダヴなら〜って言いながら、とりあえず塗り込むよね。」と、何を思ったのか昔の化粧品のCMのモノマネで応戦してしまった。
それを見た奴は、「やばい!この人絶対いい人だよ!!」となぜか私のことを褒め称えはじめていた。「いい人」の判断軸が世間のそれと大きくかけ離れている。
その後、どういう男性がタイプなのかと聞かれたので、「賢い人が好き」と答えると、「わかるー!!」とものすごい賛同を得てしまった。さらに奴は「学歴が高い人が好き!入るのが難しいとされている会社に勤めてる人が好き!」と畳み掛けてきた。他人からの好感度とか、気にならないんだろうか。「学歴や職歴は頭の良さとの相関関係は強いと思うけど絶対ではないでしょ?」と問うたのだが、奴は「絶対だ!!」と譲らなかった。こいつのことを、難ありアラサーと呼ぶことにした。
ちなみに、昔あるゲイに「頭が良い人が好き」と言ったら、「性格が悪いね」と返されたことがある。その人は「イケメンが好き。この世界は顔がすべてだ」と言っていた。顔で選ぶのはいいのに賢さで判断するのはダメってのはどういう理屈なのだろうという疑問がモヤモヤと残った。いい人も悪い人も、判断軸は人それぞれなのだ。
奴はいつもヘラヘラしていた。普段から酔っているような立ち振る舞いで、突然「女スパイになりたい。パーティーに潜入してブーツに仕込んだナイフで要人を暗殺したい。口紅型爆弾で会場を爆発させたのち、ヘリで脱出したい。」などとのたまっていた。
本当に酔っ払った時には、街中で両手でドロンのポーズを作って少し考え込んだかと思うと、知らないお店に素早く突入しては脱出するという意味不明な迷惑行動を繰り返したのち、最終的にはクラブの床で転げ回っていた。混雑するゲイクラブで文字通り転げ回る人を見たのは後にも先にもあれだけだ。しかもなぜか満面の笑みを浮かべていた。
その後、初めて入ったゲイバーで午前3時に睡魔に負けて眠ろうとしているわたしの友人に無理やりキスをせがみ、拒否られると「ダメだよそんなんじゃあ!!」となぜか説教をはじめていた。その後、全員がぐったりしている中、一人でカラオケのマイクを握り店内をゆっくりと歌い歩きながら、1フレーズごとに知らないおじさんの口元にマイクを向けてはまた次のおじさんの元へ...と一人でディナーショーごっこをして楽しんでいた。午前5時には、一人でサライを熱唱しながら泣いていた。「はやく帰れ」と罵声を浴びせられながら「いつか帰〜る♪ いつか帰〜る〜♪」と歌いながら抵抗をみせていた。
奴は、他人の言動をほとんどすべて記憶してしまう私とは対称的で、自分の振る舞いすらもすぐに忘れられるらしく、自分が酔っ払った時の話を私から聞くのが好きだと言っていた。
さぞやストレスフリーで長生きするのだろうな、と思っていたのだが、こう見えて結構大変な想いもしてきたらしい。
奴は地方の田舎で育った。親族の中でもとりわけ優秀だった彼は、東京の難関大学への進学を志すが、最初の受験に失敗。一浪しながら再受験を試みるも、現役時代と同じ大学にしか合格できなかった。もともと体が弱く、浪人生時代はストレスで深刻な肌荒れに悩まされた。そのこともまた、当時ゲイとしてデビューしたての彼を苦しめた。
奴はその後、海外の大学院に進学する。最初の受験失敗から生じたコンプレックスを埋めたいという気持ちもあったのかもしれない。異国の地での勉学には大変な苦労を強いられた。初めて味わう劣等生の烙印。ストレスと過労で現地の救急車で運ばれたりしながら、なんとかギリギリの成績で卒業して家族で泣いた。
帰国後、誰もが知っている超人気企業に就職した。就職人気ランキングでは必ず見る企業だ。それを知った親戚は彼の親にこう言ったらしい。「お宅の息子さんは賢く育っちゃったから、東京から帰らず面倒見てもらえなくて残念。うちの子はお勉強はできないけど、いつも助けてくれる。」
入社後はまず、下請け会社の社員との軋轢に苦しんだ。上からは理屈を、下からは感情を押し付けられる毎日。世の中には論理も責任感もまるで持たないくせに、平気で感情をぶちまけることに抵抗がない人間というものが、意外と結構いる。奴はきっと思ったはずだ。自分は散々苦労してここまで来たのに、なんで今更、こんな馬鹿どものせいで悩まなきゃならないんだ。賢い世界を目指して来たのに、未だに馬鹿に苦しめられる。
そんな中でも良い成績を残し、希望の仕事に異動できた。やり手の女上司に気に入られ、平社員なのにマネージャーの仕事を任された。周囲から同情されるほどの多忙さの中にあっても、上司の要求はどんどんエスカレートし、もともと弱かった体を壊して入院した。復帰した彼にその上司が告げたのは「体調管理も仕事のうちです」という言葉だった。
あぁ、自分の人生ってなんだったのだろう。と彼は思ったのだろうな、と思う。私には、わかる。
大学生くらいの若いゲイで幅を利かせるのは、イケメンかボンボン。そのどちらにも恵まれなかった彼は、別の道で勝負する決意を固めたのだろう。素直に実ってはくれなかった努力ですら、意地と気合いで形にしてきたのに、その結果がこれだ。努力して努力して努力して、それでも苦労している自分の横で、産まれもったものだけで何かを成し遂げた気になっているような誰かが笑う。
奴が認めたいのはきっと、高学歴な他人じゃなくて、自分がしてきた努力だ。
私が奴と気があうのは、そういうところが似ているからなのだろうなと思う。人は手に入れたものじゃなくて、手に入らなかったもので出来ているのだ。
私たちはいつもふざけていた。
色んな飲み会に参加してエリートを見つけては「精子分けてもらわなきゃ!」などと勝手に盛り上がった。色んな国を旅行してトラブルを起こしては、「いいハプニングだったね〜」などと話して満足していた。
わたしにブログを書けと薦めてきたのも奴だ。「姐さんの無駄なコミュ力は何かに活かした方がいいよ」と奴は言った。
毎回ブログを更新するたびに、どんだけ暇なんだという早さで、奴からの感想が届いた。
今までで奴が感想を言ってこなかったのは、前回の記事の時だけだ。
おかげさまで前回の記事はとてもとてもたくさんの方に読んでもらえたらしい。要約すると、私がひどい失恋をしましたというだけの話なのだが、有難いことに色んな人から応援の言葉も頂き、大変勇気づけられた。現実世界の知り合いからも、飲みに行こうねとか、幸せになってねとか、まぁ色々励まされた。そのほとんどは暖かい言葉だったが、同時に、状況を細かく話すことを求められたり、LINEを見せろと言われたこともあった。優しい言葉に包んだふりをしてぶつけられてくる好奇心が怖いと感じたことも、正直あった。
そんな中で、奴だけが何も言ってこなかった。
ブログを公開して数日たったある日突然、「今回の記事反響すごいね。ところでまた後輩に可愛い子を紹介させるから、飲みに行こう。」と一言連絡してきただけだった。奴には好きな人がいるという話すら何一つしていなかったので、色々と気になっているはずだろうに。
いつだったか奴が、とある人物を称して「あの人は本当に優しい。受動的な優しさじゃなくて、積極的な優しさをみせる人だから。自分が嫌われたくないだけの受動的な優しさとは違う。」と言っていたのを思い出した。
この世界は嘘みたいな綺麗事で溢れているから、時々本当に綺麗なものが見つけにくくなる。人を気遣う気持ちそのものよりも、すごいね、だの、かわいいね、だの、適当に声高に口に出せることの方が評価に繋がる世の中だと思う。電車で初めから席に座らない人よりも席を譲る人のほうがいい人に見えるように。完璧な親切よりも分かりやすい親切の方が、多くの人には受け入れられやすいのかもしれない。けれど自分は、そこだけは順応しないままでいたいなぁとなぜか思う。たとえそのいい人の判断軸とやらが、世間のそれとズレていたとしても。
その後一緒に参加した飲み会の終わりに、奴が私にだけ、めずらしくしんみりした感じで呟くように言った。
「もう、30歳なんだねぇ。」
出会った頃には27歳だった奴が、先日30歳の誕生日を迎えた。
「20歳そこそこだった頃、30代のホモとよく飲んだりしてたんだけどさ、彼らが言ってたわけよ。ホモは30を超えたあたりでみんなおかしくなっていくよって。それを聞いて、絶対に自分はそんな風にはならねぇって思ってた。でも今、あの人たちの気持ちがすごいわかる。」
その時私たちは2人だけで座っていて、目の前では同い年くらいのホモ達が立ったままお酒を飲みながらワイワイと騒いでいた。どうしてみんな座らないで立っているんだろうと思った。まるで何かから取り残されてしまうのを怖がっているみたいに見えた。
「こういう場所にいるとさ、自分の生き方とか考え直しちゃうよね。なんかみんな楽しそうに見えるじゃん?」
他人を羨ましがっているようでいて、自分はそんな生き方はしない、と断言しているようにも聞こえる。しないというよりも、できないと言った方が正しいのかもしれないけれど。
「もう察してるかもしれないけれど、今転職活動中で、外資系の企業を受けてるんだ。」
彼はいくつかの企業の名前を口にした。国を揺るがすようなスーパーエリートが行くような会社達だった。ニュース番組でコメントとか言ってる謎の人たちの経歴にあるような類の会社だ。面接を受けれるだけでもすごいなぁと素直に思う。
「面接受けてんだけどさ、みんなすごいイケメンなの。やっぱイケメンってそれだけで自信になるもんね。絶対生き方への影響デカイよ。社会的に成功してるブスってすごい頑張ったんだなぁって思う。俺、新卒の時の面接で『わたしの原動力は劣等感です』って言ったからね。そしたら面接官に『カッコいいですよ』って励まされたからねw その人今同じフロアにいるからねw 気まずいよねww」
なぜか議題が『ブスの社会進出について』になっていた。もしかして励ましてくれているのだろうかと一瞬考えるが、おそらく別に深い意味はないだろう。しかし凄いエピソードだ。自分も面接でそんなこと言えるだろうか?と自問してみるが、たぶん答えはノーだ。まさか、これが巷で耳にする『自分を受け入れる』とかいうやつなのか。
人間が頑張る理由は、自信と劣等感に大別できるのかもしれない。若さだけを自信に生きてきた人間が、30を過ぎたあたりでおかしくなっていく。今まで馬鹿にしていたものに自分が向かっていくという呪いは、結構な絶望を伴うものなのだろう。
奴のような生き方も、あんがい健康的なのかもしれないなぁと思う。だが、奴が目指す業界は毎日3時間くらいだけ寝てあとは働いているような世界だと聞く。なんでそんな所を目指すのか。
「自分がどこまで行けるのかみてみたいんだよね。東大生でも入れないような場所で自分がどれだけやれるのかっていうのを確かめたいんだと思う。」
冒頭で紹介した花粉症を恐れる彼女が、私にだけこっそり、司法試験を受けてみたいという願望があると教えてくれたことがある。彼女は一番入りたかった学校に入学し、一番入りたかった会社に入社した。そしてそれぞれの場所で完璧とも言える成果を残していた。順風満帆にも見えた彼女の唯一の心残りが、自分の限界を見たいという気持ちだった。
私は密かに感動していた。劣等感を原動力に生きてきたという目の前のホモが、わたしの知る限り最強の才女と同じ領域に到達していたことに。自らの限界を確かめるために敢えて困難に挑む。年をとることはただ老いることではなく、成長することなのだという当たり前のことを思い知らせてくれる生き方ができる人間は、決して多くない。
その二週間後、難ありアラサーさんが希望していた会社の内定を得たという連絡を受けた。
まさか本当に受かってしまうとはね。もうこれで、半端なエリートを見つけても「精子貰わなきゃ!」って言えなくなっちゃうじゃん。しばらくプライベートも皆無になっちゃうみたいだから、海外の怖い街に旅行しても「レイプされちゃう!」って一緒に騒ぐ相手がいなくなっちゃうじゃん。
とりあえず、目標成就おめでとうございます。もしかしたら、教科書みたいな人たちが、劣等感に動かされて生きていても幸せにはなれないよ、とか言ってくるかもしれないけれど、俺は違うと思うよ。結果に満足できるんなら理由なんてどうでもいいんだよきっと。まさに外資系の考え方そのものだね。
周りが自信を失って失速していくのを尻目に、劣等感を強さに変える生き方を実現しているさまには正直シビれました。将来偉くなったらなんか頂戴ね。ただしくれぐれも失言には気をつけるように。まぁ気をつけたところで無駄だろうから、「いつかやると思ってました」って言う練習を今のうちからしておきます。それと、貴方が容易く手に入れたものをどんなに頑張っても得られなかった人達もいるんだということを、時々は思い出すように。でないと本当にいつか刺されちゃうよ。
ぶっちゃけ、人類の大きさから考えたら1人の人間のすることなんてたがが知れてるのもいい所で、生きる意味なんて考えるだけ無駄だと思うのです。結局全部は自己満足なわけで、その自己満足をいかに継続できるかが、生き方の差なのだろうなと思います。これからも面白い他人との差を見せてくれることを期待しています。good luck!!