今よりももっと人生に迷走していた頃、某人材採用コンサルティング会社の採用試験を受験したことがある。面接試験が異常に得意な私はあれよあれよと最終面接まで生き残り、最後に役員からお決まりの「何か聞きたいことはありますか?」という質問を受けるに至った。
私の希望職種は、転職希望者に仕事を斡旋する、いわゆる転職エージェントだったので、まずはそのKPIについて尋ねるなどし、彼らの評価指標が「転職成立者の数」であることを確認した。
その上で、どうしても気になっていた問いをその役員へと投げかけた。
「転職相談者の中には転職の意思がハッキリしていない人も多いだろうと思う。仮に私が転職エージェントとなって、ある日、目の前の相談者の話を聞くうちに、この人は転職をしない方がいいと感じたとする。私はどうすべきなのか。」
金銭を得るための労働はボランティアとは違う。利益を稼ぐことが使命のコンサルタントにとっては、目の前の顧客の契約を成立させることに全力を注ぐことこそが正義なのだろう。
───この人はきっと今の会社にいた方がいいような気がするけど、転職に興味が湧いたという心に嘘はないはずだし、新しい道に進むことが悪だなんて誰にも言い切れないわけだし、、
なんていう風に、自分の中に湧き上がる違和感に言い訳で蓋をして、良心に目を瞑って仕事を続けた先で、胸を張って生きていくことが果たしてできるのだろうか。
そんな考えから湧き出た質問だった。
その役員は、池上彰もビックリするくらい「いい質問ですねぇ...」と10回くらい言いながらこう答えてくださった。
「そういう場合は転職をさせない方が良いです。何故ならば長期的に見た場合にその方が良いからです。そういう選択は必ず後の結果に響く。」
流石は役員といった感じで、倫理的にはとても正しい回答だと思う。 日経ビジネスあたりの取材にはこう答えるのが間違いなく正解であろう。
私はというと、口では「なるほどー」とか答えながら、頭の中は、本当に?本当にそうなの?そんな単純な話なの?という気持ちで溢れかえっていた。
今ここでそんな言葉を頂いても、実際に仕事をはじめてノルマに追われるうちに、そんな志はどこかへ行ってしまうのではないか、という疑問を拭い去ることが出来なかった。単に自分の弱さが明るみにでた、ということなのかもしれない。
結果、せっかく内定を頂けたのにその話は辞退させてもらった。その最終面接を受けた10人ほどのなかで唯一内定をもらえたらしく、フォローもかなり手厚くいい感じであり、会う人もみんな性に合っていたので、勿体無いことしたかもなー、と今でも時々思い出す。ただ、その度に、自分にも良心というものがそれなりにちゃんとあったのだなぁと安心したような気持ちにもなる。
このような良心を持たない存在であると言われているのが「サイコパス」と呼ばれる人々である。
一般にサイコパスというと、猟奇的な殺人鬼を連想する人も多いことだろう。しかしそれらはサイコパスの一部に過ぎない。
本書は、サイコパスという存在について、どのような特徴を持つのか、なぜ存在するのか、という点について脳科学や進化心理学の観点から様々な研究結果を通して紹介がなされている。
脳科学の研究結果によると、サイコパスは扁桃体という脳領域の活動が一般の人と比べて低いことがわかっているらしい。扁桃体とは人間が考えるよりも先に本能的に活動する際に最も早く反応する部分で、ここの働きが強いと、恐怖や不安といった情動を強く感じやすいのだそうだ。即ち、サイコパスは恐怖や不安といった情動を感じにくく、逆に理性や知性が働きやすいというわけである。
加えて、眼窩前頭皮質という相手に対する「共感」を持つことで衝動的な行動にブレーキをかける部位や、「良心」によるブレーキをかけたり、物事を長期的な視野に立って計算する内側前頭前皮質という部位の活動が弱いケースが多いこともわかっている。そのため、普通の人ならば躊躇してしまうような冷徹だが合理的な判断を平気で行ったり、長期的な損害よりも目の前の快楽を重視する傾向が強くなったりするのである。
ゆえに、合理的な判断が必要になる経営者や、冷静さが重要となる外科医などはサイコパスに向いており、実際に割合としても多いらしい。合理的に利益を追求する転職エージェントとかも、そうなのかもしれない。
本の中では、スティーブ・ジョブスやマザーテレサもサイコパスだったのではないかという考察も紹介されており、 本当に優秀なサイコパスは人たらしも上手に演じてしまうのかもなぁ、と変に関心してしまったりする。
進化心理学とは、人間が持つ心理メカニズムの多くは生物学的に環境に適応した結果こうなったものだと仮定して、研究を行うアプローチである。
その理屈で言えば、サイコパスが絶滅せずに今もなお存在しているのは、彼らの存在が人類にとって必要だったから、ということになる。
実際に今も世界の中には、殺人を行う者が英雄扱いされる種族があったり、サイコパスの方が行きやすい社会も存在するらしい。生きていくための資源が豊富にある環境では、人は協力をしなくても生きていけるため、そういう風に最適化されていくのかもしれない。
一方で、生きて行くための資源を得るのが困難だったり、災害が多い環境においては、人は助け合わなければ生きていけない。そういう社会においては、集団における協力体制が強固でなければならない。こういう社会はサイコパスにとっては生きにくく、逆に、他人に対して共感を持つ能力が発達した人間が多く育つ。だから、日本は欧米などに比べてサイコパスの割合が少ないのかもしれない。また、日本人は他人の顔色を伺いがちだといわれる所以もこのあたりにありそうである。
私は嘘くさい共感というものが嫌いだった。
そういうのは全部、その本人の弱さから来るものだとずっと信じて疑っていなかった。
ところが、である。
この本を読んでいると、他人の頭の中は、自分が理解していた気になっていたよりもずっと、自分の知らない刺激で溢れているのかもしれないなぁと感じる。
合理的な判断ができることが良いことなのか、暑い共感を抱くことが正義なのかが、どんどんわからなくなる。利益を追求するエージェントと、相談者の気持ちに共感するエージェント、どちらが優れているのかなんて、判断できない。どちらが正しいのかなどと考えることにさえ、意味がないような気がしてくる。
ただ、賢い生き方を探ることには大きな意味があると思う。
人間関係がどんなに面倒臭くなっても、好む好まざるに関わらず、付き合っていかなければいけないシーンというものはいくらでも存在する。 そんな時に、「まぁ脳が違うんだからしょうがないかぁ」と割りきって考えられるようになれば、結構楽になれる気がするので、まずはそこを目指そうかな、と思う。